素敵な言葉たち

左の鼻の穴上部に切り傷ができてしばらく経つ。3日に一回くらい、朝、洗顔をするときの水がしみる。鼻毛を抜いたのと同じくらい痛い。

ところで、鼻毛を抜いたときってその穴と反対側の目から涙が出るんですよ、ご存知でしたか。昔、テレビ番組でやってました。

 

 

いい言葉たちに出会ったのでメモ。素敵な日々は、素敵な言葉と共に生まれていくのです。

「明日死ぬかもしれないので我慢したくないんです」

一年以上かけて6kg痩せたんです〜と職場で言いふらしていたら、とある人からどうやってダイエットしたのか教えてほしいと声をかけられた。私のダイエット方法は、カロリーが多いものを食べてもいい日を数日に一回のみにする、である。できれば歩くようにする、お腹を思い切り引っ込める、ストレッチをする、銭湯で他人の体を見てモチベーションを高める、といった小技もあるが、基本は食事だ。

食生活の話をしたら、相手はなるほどと頷きつつ、「でも私、どうしても食べちゃうんです……」。なぜなら、明日死ぬかもしれないからだそうな。

とても大切ことだと思う。明日死ぬ、は大げさだとしても、しかしどこで何があるかわからない。今度買おうと思っていた商品が、いつの間にか店頭から消えてそれきりお別れになることは十分にある。急にアレルギーが発症して、大好物が食べられなくなるかもしれない。人生において唯一の邂逅かもしれない、目の前にある「美味しそうなもの」をなぜ諦めなければならないのか。

だからこそ、と私は思う。今日の夕飯は何を食べようか、明日は、週末は、どうしようか。一回いっかいの食事において、可能な限り「食べたいもの」を追いかけたいし、「美味しい状態」を求めたい。お金と時間と体力と、許す限り最高の食事を探求し続けたい、と常々心がけている。

 

「人生、死ぬことだけがゴールだから」

お次は職場の先輩……親に近い世代の人とだべっていたらそんな話になった。

進学も就職も結婚もその他諸々、ゴールだと思って目指してきた白線は、いざその地点に辿り着いてみればスタートラインであった。よりよくするどころか、今の状態を維持するためでさえ私たちは立ち止まることを許されない、ということでこの世は赤の女王が支配すところなのである。

鏡の国のアリス』に登場する赤の女王が、「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」という発言をしています。そこから生まれたのが「赤の女王仮説

例えば、絵を描いているとき。明確な終わりは存在せず、ここにハイライトを入れたらこっちを少し手直ししようとか、全体のバランスをとってここはもう少しはっきりさせようとか、作業はいつまでもできる。ただ、何かしらの締め切りがあるからどこかで作業を終了させているだけなのだ。

きっと人生もそんなもので、こねこねこねこねこねくり回し、そうしてそろそろまとめるかと慌ただしく風呂敷を畳むのだろう。他の締め切りと違うのは、場合によっては風呂敷を畳む時間がないかもしれない、というところか。

 

「昔のおれに謝れ」

実家で流行っていた言葉。兄弟の同僚が上司から言われたそうで、同僚は仕事があまりできず、そのことを「昔の俺はあれもこれもやっていた、それなのにお前はこれしかしていない」と咎められている最中に出てきたらしい。昔の俺は、もっと仕事量が多かったぞ、と。

言いたいことはわかるのだがどこかつかみどころがないというか、噛み締めるほどに味が出るスルメみたいな言葉だ。とてもいい響きではないか、昔の、おれに、謝れ。

どうやって謝ればいいのだろう、一休さんの如く、「昔のあなたを連れてきてくださーい笑」なんて返したらどうなってしまうのだろうか。

自分への絶対的な自信と相手に対する蔑みと軽んじ、どうしようもない(しかしくだらない)怒りにより生まれた理不尽さ。そういう負の感情が、この一言に凝縮されていている。なかなかこの一言は生まれてこない。もちろん、同僚の仕事の出来具合が私にはわからないので、この上司がめちゃくちゃなことを言っていると一蹴することはできない。純粋に、昔のおれに謝ってほしいという発想に脱帽しているのだ。そうくるか、的な。

2023年は積極的に使いたい言葉だ。しかし、いつ使えばいいのか、用例は全く思いつかないけれど。