果たして気づく日はくるのかどうか

2022はどんな年でしたか。

2021年はどうですか、2020年は?2023年もきっとそんな年でしょう。

 

今年を振り返ってみて、何かあったかなとここ一ヵ月は考えていた。しばらくぶりに遠くの県外へ遊びに行ってみたり逆に遊びにきてもらったり。ちょっとおもしろい本にもすべり込みで出会うことができたし、なかなかによい買い物もできた気がする。しかし、去年と一昨年と比べてどうかと言われれば、別に。

仕事を辞めたのは今年だったが、そうすると決めたのは2021年中のできごとであったし、当時は大きな決断だったけれど、振り返ってみれば遠くにかすんでしまいここからではよく見えない。竜飛岬より見えない。

 

思いつかないまま実家へ帰る電車の中、あっと思い出した。そうだ、財布を落としたんだった。

(まだブログに書いてないよなと過去のエントリーを見返していたら不意にコロチキYouTubeチャンネルが出てきて、たしかにそんな記事も書いたけれど、ちょっと自分のことが信じられない)

その時も実家に帰ろうとしていて、作り方を覚えた豚チャーシューを大事に抱えていた。他の荷物は背中のリュックに入っている。最寄り駅に着いて待合室の椅子に座り、リュックからイヤホンを取り出し音楽を聴きながら時間をつぶす。そして、意気揚々とホームへ向かった。

ここで一時停止ボタンを押し、時間を少しばかり巻き戻す。そう、イヤホンを取り出したとき、同じポケットに入っていた財布を一旦出して膝の上に置いて……。そろそろ時間だと立ち上がった瞬間、財布は椅子の下に落ちた。イヤホンをしていて、財布が落ちて床とぶつかる音が聞こえなかった。だから気づかなかった。

30と数年生きてきて、財布を落としたのはこの日が初めてだった。スマホも、定期券だって落としたことはない。「落としてそのままにできないもの」を落としたのは、生まれて初めてだった。うわーやっちまったという気持ちとともに、うわーこれが落とし物かー!という興奮が湧き上がったことを覚えている。

 

小学校4年生の夏休み、海水浴から帰ってきた私は、二学期からの授業において発言することが急に恥ずかしくなった。あの日、私は海の中に大きな何かを置いてきてしまった。

財布を落としたことには気づいたけれど、他にも知らないところで落としたり忘れてきたりしているのだろうか。そうかもしれない、そしてそういうものなのだろう。とりあえず今は困っていないので、問題ではない。

2021年より2020年よりも、それ以外のどの年よりも2022年の「私」が私は好きだ。どこがどうということもないけれど、先ほどの気づいていない落とし物や忘れ物、そしていつの間にかの拾い物により、私自身が少しずつ変わっている。それが成長か後退か、あるいは変身なのかも今の時点では判断できないが、年の瀬にそう感じているのならこれ以上素晴らしいことはない、でしょう。