気に入った手袋すら見つけられない人生ならば「手袋を探す」『向田邦子ベスト・エッセイ』より

私が生まれる前に亡くなった人が、何を感じ何を考えていたのか、令和の時代に知ることができるというのは、改めて思い直すと不思議である。これは博物館や美術館の展示品でも同じで、特に絵画など、制作中の画家と同じ位置に立っているのかもしれないと思うと小さく感動する。筆跡を辿れば、まるで自分が描いたような気分になれる。

 

「手袋を探す」は、寒い季節になっても、気に入った手袋がないからと手をかじかませながら過ごしていたところから話が始まる。上司から、「それは手袋だけの問題ではない」、つまりもっと生き方全体に通ずる気質の話だよ、と言われた向田氏は、その夜、自分と向き合うことにしたのだった。

気に入ったものがないから手袋なしで冬を過ごす、という頑固さは人生においてメリットとは言えないだろう。自分が納得できなければ受け入れられない、のが手袋だけならいいが、例えば人間関係にまで及ぶとたちまち事態は面倒になる。あの人はちょっと不器用だから、で微笑ましく許されていたことも、歳をとるにつれて扱いにくい人と呼ばれるようになる。柔軟に、しなやかに。長いものに巻かれるわけではないけれど、素直に受け入れる方が人生はきっとうまくいく。

と、30年ちょっとの人生経験でも思う。

 

向田氏もそれはわかっていたのだ。きっと、手袋をはめないのは今年の冬だけではない。このままでは、来年も再来年も、気に入った手袋が見つかるまで、かさかさに冷たくなった手で冬を過ごすことになるだろう。すぐに手に入る手袋で我慢すれば、何の問題もなく外を歩けるのだ。手袋だけではない。高望みをしなければ、余計なことを考えなければ人並みの幸せを手に入れることができる。

しかし、彼女は手袋を探すことに決めたのだった。

ないものねだりの高のぞみが私のイヤな性格なら、とことんそのイヤなところとつきあってみよう。そう決めたのです。二つ三つの頃からはたちを過ぎるその当時まで、親や先生たちにも注意され、多少は自分でも変えようとしてみたにもかかわらず変わらないのは、それこそ死に至る病ではないだろうか。

 無難にまとまるのではなく、どこまでも、自分が求めるものを手に入れよう。上司の言葉は結局、彼女がより彼女らしく生きるためのきっかけとなってしまった。

 

「私」として生きて32年、いいところなんてあるのかと思うぐらい自分の嫌なところばかりが目につく。嫌だから、治そうとする。でも簡単に治らなくて、でもでも気にはなって、ああ、私はこのまま嫌でダメでどうしようもない人間として生きていくしかないのか。

人生諦めが肝心。嫌でダメでどうしようもない私でいることはもう仕方がない。ここまできたら、あとは頭に隕石でも当たらない限り治らない気がする。けれど、手袋はまだ諦めたくない。もっとスマートで、暖かくて、価格も手ごろな手袋が見つかるまで、私だって探したい。たかが手袋ごとき何でもいいだろう、と言うのなら、たかが手袋すら欲しいと思えるものがない世界に生きている意味があるだろうか。

手がカサカサにかじかんだって我慢できるのは、それを自分が選んだからだ。自分でしないことを選んだのに寒さに文句を言う人間にはなりたくない、それだけは覚えておこう。

 

向田邦子ベスト・エッセイ (ちくま文庫)

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