ホットチョコレートの壁

ここのところ一日ずっと氷点下の日が続いていたせいか、最高気温がプラスなだけでとても暖かく感じるようになった。歩道を覆う雪と氷はとけて、シャリシャリのシャーベット状なので歩きににくくはあるけれど、すべらない。意味もなく近所を歩くのが、なんて楽しいんだ!

 

ぶらぶらとチョコレート催事場を見て回っていたら、一つ気になる商品があった。東北のとある街からはるばるやってきたが、もともとはニューヨークの生まれだと説明されている。なんの所縁があったのか、その商品は私とともにレジへと向かうことになった。購入したのはチョコレートドリンクの素である。おそらくベーシックなものと、ホワイトチョコレートの2種類を購入した。

チョコレートドリンク、つまりホットチョコレート。牛乳を使ったチョコレート味の温かい飲み物。その名前からダイレクトに伝わるぬくもりと、甘さ。ああ、こんな寒い夜に体を温めるのに、なんてぴったりな飲み物なんだろう。

私は、ホットチョコレートを飲んだことがない。ココアはあるけれど、ココアとは違うらしい。どのくらい違うのかはわからないが。なので、その名前の甘美な響きから、こんな味なんだろうな、飲んだらこんな気分になるんだろうな、等と勝手に想像しては一人楽しい気分になってきた。

 

「いつでも買えるものではない」という言葉は私の財布のひもを、ただでさえしまっていないのに、さらに緩めてくれる。牛乳を買いつつうきうきで帰宅した私は、さっそくホットチョコレート作りに取りかかった。購入した箱の中身は粉末。これを牛乳にとかすわけか、なるほどね、と大して謎でもない作り方に一人納得する。

内容量84gのうち1回に使う量は42gなので、これは2回作ることができるのかと小学生のわり算をしながら、確か2つで3,000円、じゃあ1回当たりの値段は……と計算しようとしたが、暗算にしては数が大きいのでやめた。お店で注文したほうが安いかもとかそういうことではなく、これはあくまで私が初めてホットチョコレートを飲むという大事な儀式なのだ。お金の問題ではない、と強く自分に言い聞かせる。

あってよかった泡だて器で火にかけた牛乳をかき混ぜつつ、あってよかったクッキングスケールできっかりと粉末の重さをはかる。同時に、マグカップをお湯で温めておく。沸騰直前で火を止めて粉を入れ、よく混ぜたら再び点火。少しとろみがつくまでくるくる泡だて器を混ぜていると、ねるねるねるねを思い出した。バカ野郎!一緒にするな!!

ふつふつしてきたところで、カップにそそぐ。つやのある赤褐色の液体からは、湯気とともに甘いにおいが広がった。これが、ホットチョコレート。うやうやしくカップを持ち上げて、傾ける、が、とろりではなくどろりとなった液体は、なかなか口元にやってこない。溶岩で言えば雲仙普賢岳タイプ……と考えていたら、口の中をやけどした。

 

もともと、なんとか文明においてカカオは薬として使われてきた、らしい。ホットチョコレートの原型となった飲み物も、香辛料やらなんやらを入れた「元気が出るすごい飲み物」として飲まれていて、冷たくて辛いものだったと記憶している。今の形になったのは、カカオ文化がヨーロッパに渡ってからのはずだ。

どうやら私は、恋に恋しているような、憧れに憧れているような、自分勝手な理想のホットチョコレート像をもっていたらしい。お菓子としてのチョコレートの、あるいはココアの延長線上に「ホットチョコレート」があると考えていたが、それは違った。

きっとこうだろう、と経験せずに想像することは誰にでもできる。が、やっぱり試してみないと、大きな勘違いをしていることって多いんだろうな。引き続き私の頭は、ホットチョコレートをチョコレートやココアとは別のものとしてとらえようとしては、「チョコレート/ココアみたいに○○じゃない!」と失敗している。理屈としてはわかるのに、先入観に引きずられている。

ここを越えられたとき、私はまた一つ賢くなれる気がするのだが、果たして。

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飽くなき挑戦は続く……