思い出してもいい過去なんてない

10月だ、と気づかされることはたくさんある。中高生たちの装いとか、内定式開催のニュースだとか(誰もがあんなに初々しい姿だったのに)、「あじまん」の店開きだとか。

今シーズンの初あじまんは、味よりもその小ささが印象的だった。

 

心療内科に通い始めて5年ほどになる。月に2回も3回も通っていたのは初めだけで、今は月一の通院である。それも、薬が30日分だからという理由なので、ストックがあれば35日や40日間隔になることもある。

そんな感じで心療内科との付き合いも長くなってきたけれど、病院にうまくかかれていると感じているのはここ1年くらいで、それまで薬をもらいに行くだけ、ということが多かった。私の状態を説明し、疑問や困り事を述べてそれに対するアドバイスをもらう、というのが私の「うまいかかり方」である。

 

病院に行く前日あたりに、主治医に聞きたいことを紙に書き出す。病院の混み具合や感染症のこともあるので、基本的に診察時間は15分間までだ。だから、それほど多くのことは聞けないし、そもそも、こうしてペンを握ってみても何も思い浮かばない。月初めに少し気持ちが落ち込んでいたとか、こんな出来事があって動揺したとか、数分考えていれば思い出してくるので、そのことをメモする。

メモは待合室で見返す程度で、診察室に入ったとたんに忘れて別のことを話すことも多い。とにかく、こんな調子だった、こういう気持ちになったということを話せば医師から返答がくる。そういうことか、そういう考え方もあるか、なるほどと思えば私は診察を受けた気分になるのでそれでよい。

この間は、診察室の扉を開けた瞬間にメモの存在を忘れた回だった。新しい職場では大きなストレスを感じることはないし、日々の生活も落ち着いていると述べると、慣れた頃に嫌な部分が目につきますからねー、気をつけていきましょうねーと言われた。このセリフは確か先月も聞いた気がするし、私も「新しい職場で困ったことはないし生活も落ち着いている」旨を伝えていたことに気づく。

これでは2月連続で同じ話をして終わる、何か別の話題はないか。あ、そういえば。前の職場であった、私にとっては楽しくないことを寝る前に思い出すことがある。それで眠れなくなるほどではないけれど、いくらか落ち着かない。

 

春。人の入れ替わりがあり、数人のグループ内で残ったのは私とその人間だけだった。上司も新しく着任した人で、なんとかのファイルが見当たらない、知らないかと聞かれた。それは多少の立場がある人が担当する業務で、私たちその他大勢がおいそれと中身を知っていいファイルではない。それに、そもそも知らない。なので知らないと答えた。

すると、人間がこちらを見る。「前の上司さんと、この件で話してたよね、知らない?」

私の担当する部分の情報が欲しかったようで、確かに私は前の上司とそのファイルに収まるであろうことで話をした。しかし、話をしただけだ。じゃあここに置いとくね、とまでは聞いていないし、再び知らないと答える。

「でもこの件で話をしていたよね、本当に知らない?」

だから知らない。あれ、例えば自分の担当外のAについて話をしたら、私はAに関するデータやら資料やらがある場所がわかるようになっていなければならなかったのか。

「本当に知らないの?」

この辺でわからなくなってきた。なぜこの人間は私が知っていると思うのか、私は実は知っているのか。

 

「暗い気持ちになるから思い出しちゃだめだ、明るくて前向きな気持ちになるから思い出した方がいい、っていうのはないんですよね」

医師が語り始める。本人にとっては楽しい、嬉しい思い出だとしても客観的には過去の栄光にしがみついているように見える。暗い過去だって、そこから反省すべきことが見えてくる。

「思い出してもいい、悪いってことはなくて、結局はどちらも過去なんですよ」

私も昔、看護師長に言われたことがどうしても解せなくて悔しくていまだに友人に話したりするんですけれどお前またその話かよって向こうからしてみればその程度の話なんですでも本人にとっては何年何十年経っても納得できな以下略。とにかく、過去を思い出すことは仕方がないんですけど、それにこだわってもいいことってないんですよね。

通い始めて5年。今までにない迫力を感じた診察だった。

 

私がいつかのやりとりを思い出すとき、出来事の理不尽さと、それ以上にその理不尽さに抵抗できない自らの不甲斐なさに怒り、悔しくなる(すんごく前にもこんなことを書いた気がする)。「知らない」という自分の言葉が届かないこと、届けられないことへの悲しみは、もう終わってしまったことで今となっては消すこともできない。

そのどうにもできないもやもやを、どうしてやろうか。ああ、あの人間の鼻の奥に冬瓜の種が入り込んで、そこですくすく育ち世界仰天ニュースあたりで取り上げられますように。変わらない過去を思い出すくらいなら、未来へ希望を託すしかないのではないだろうか。