3/13雨、執念深いから生きていける

学生時代から数えて一人暮らしも11年目。今日、はじめて宅配ピザを頼んだ。ピザ1枚とポテトで2,000円程度、でも一番おいしかったのはサービスでついてきたペプシコーラだったりする。

 

一ヵ月ぶりに、こうして日記を書いている。寒さで凍った脳みそが、最近の暖かさによりやっとでとけてきたのかもしれない。そう思うくらい、頭が回らない日々だった。

もともとできない仕事でへまばっかりして、底が見えてきた残「元気」値を補充するため一年前まで働いていた職場へ顔を出してきた。私は一人でいることが好きだけれど、同じくらい人とおしゃべりすることが好きだということに気づいたのは、割と最近のことである。人と会えなかったり話す機会が減ったりして初めて、そういう時間が私を元気づけていたことを知った。

 

ふとした会話、ぽろりと出てきた言葉に、私は生かされている。

例えば、文章に関すること。中学校の時に提出した読書感想文を褒められて「作家になれるんじゃない」と国語の先生に言われたこと、大学受験の小論文指導中に「お前は誤字脱字が少ないよな」(それは当時の話で、今は誤字脱字ばかりである)と部活の顧問に言われたこと、そんなどうでもいいことを、ずっと憶えている。それから、「あなたは大器晩成型だから、文章を書くのをやめないように」と大学の先生に言われたことも、地味に忘れていない。

私の文章を読んでくれた友人たちの言葉だって、しっかりばっちり胸にしまってある。文章を仕事にしないなんてもったいない、なんて類の言葉は、私は一生忘れない。もちろん、こういった言葉の中にはお世辞もあるし、学生(子ども)だからこそ言ってもらえた言葉も含まれるだろう。けれど、そんなことはどうでもいい。私は、私に向けられた言葉を素直に受け取って、そのことを思い出して一人ほくそえんでいれば生きていける。そういう単純なところが、とてもある。

 

逆に、どうでもいいことも憶えていて、こちらは健やかに生きる上では非常に邪魔くさい。あのときのため息を、私はきっと忘れない。と言って別に、ぎゃふんと言わせてやろうとか絶対に復讐してやるとか、そういう気概は持ち合わせていないので特にアクションは起こさないのだけれど。こちらはただ憶えているだけで、たまにすうっと浮かび上がってきては私を鬱々とした気分にするだけなので、なにもおもしろくない。

ただ、言われた言葉に固執するところがあるから、十何年も前に言われた言葉を思い出すだけで元気になれる。他人に何を言われたのか、気にすることをやめれば生きやすくなるかもしれないけれど、他人に言われたことを気にしているからこそ、自信につながっているみたいなところもある。長所の裏返しは短所、というやつだ。

 

経験上、仕事でへまをしたときに「この仕事に向いていない理由」を探し始める場合、私のメンタルは不安定だ。今、そんな思考に陥っている。なので、私は自分にある約束をすることにした。あることが達成できたなら、仕事を辞めてもいい、ということにしよう。

チャンスは一回。気を抜くともうだめだーとうずくまりたくなるけれど、「あること」に向けてがんばろう、自分。

 

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これは冬の日に撮った、変な雲