くたばれ、思い出

数年前、沿岸の寿司屋で友人と食べたウニはとても美味しかった。先日、同じ街に行ってきて、別のお店だけれど食べたウニはやっぱり美味しかった。

これも一つの、忘れられない日だと言える。

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旅立ちの日、出会いの日、あるいは願いが叶った日。

どうせ記憶に残すなら、自分にとって嬉しかったり楽しかったりした日の方がいいに決まっている、が、私が覚えている日というのはおおよそネガティブな日ばかりである。何か言われた、何かしてしまった、思い出したってにこにこ笑顔にはなれないような日のことが寝る前に頭に浮かぶ。

ちょっと前まではそれがひどくて本当に寝られなくなってしまったので、病院で相談して睡眠導入剤のようなものを処方してもらった。結局、苦しかったのは一週間くらいで、余った薬は「もしもの時の保険」として、常備薬が入っている缶からに放り込んでいる。薬があるだけで安心できる私は、わりとだまされやすい性格だと思う。

ところで、私の「思い出したってろくなことがないけれど忘れられない思い出リスト」には、飲み会の記憶がいくつかは入っている。それは一発芸を強要されたとか知らない異性に抱きつかれたとかのハラスメント系ではなく、至極どうでもいいささやかな出来事だ。なんでそんなことをいちいち覚えているのか我ながら不思議であるが、思うところがあるのだろう、というかあるからこうやって文字にしている。

 

飲み会が苦手だ。

理由は私の性格に原因があり、人見知り・話し下手・根暗とかなんとか、およそ飲み会向きではない。加えて、飲み会でその場に馴染もうとする努力もしないし、何をしていいかもわからない。少人数の、よく知った人たちとの飲み会は大丈夫だけれども、職場全体の飲み会なんて苦しくて仕方なくて、途中でフラフラと会場を抜け出してしまう。

会場がフリースタイル競技に、つまり席移動自由時間に移行するときの居心地の悪さったら!申し訳ないが、コロナで職場やらなんやらの飲み会が軒並み中止になってくれたことには本当に感謝である。職場の飲み会がない世界のなんて生きやすいこと。

そんな私とは正反対に、同期のなんとかさんは飲み会をたくましくこなしていた。

研修会か何かがあった日だった気がする。いくつかの事業所が集まっての懇親会が催されて、ホテルの広間に設置された円卓に、私は座っていた。会が始まり、偉い人の挨拶が終わって乾杯、円卓内で一通り話した後、皆思いおもいのテーブルに飛び立っていく。私も、数少ない知った人へ挨拶へと立ち、特に話も弾まないので数分で任務終了、席へ戻る。

閉会時間までどうやって過ごそうかと、無の時間が待っていた。

周りを眺めると、なんとかさんがビール瓶片手にいそいそとテーブルを回っている。私がアスファルトに打ち上がってしまったミミズの如く時間消費に足掻いているとすれば、向こうは涼しげにすいすい泳ぐ熱帯魚のような軽やかさがあった。

もう5年以上前の話である。そんなことを、いつまでも覚えている。

 

あの頃と違って、いくらか仕事上の知人も増えたし、話題の幅も増えた。何より、今なら飲み会に参加しないという選択ができる。職場には昔気質の考え方が残っていて、私もそれに馴染もうとしていたから、経験年数が浅い時期は飲み会に参加するしかなかったけれど今なら平気でノーセンキューだ。

それでもこうやって思い出してしまうのは、なんとかさんのように振る舞えればよかったのに、振る舞うべきだったんだろう、からのそうできない自分への批判に走ってしまうからだ。

いい加減にやめればいいのに。

 

忘れたくても忘れられない日、誰かに言われたことや自分の行動を思い出してしまうのは、後悔しているからだ。あんなことを言われないように、あんな行動を取らないように、あそこでああすればよかったのに。そんなことをうじうじ考えているから、寝られなくなる。そうして、いつまでも考えてしまう自分を、切り替えができないとか成長していないとか、さらに追い込んでしまう。

しかし、くよくよ考え込むからこその自分だとも、最近は思うようになった。

切り替えがすっぱりできて後悔を未来に活かせるような行動力を持っていたならば、私はきっとインターネットに記録することは、少なくとも今と同じような内容を残すことは、なかっただろう。このブログがあるのは、うじうじと後ろを見ながら生きてきたおかげだ。

変わりたいと願うわりに変わるための努力をしない怠惰な自分は、結局のところないものねだりをしているだけである。飲み会が苦手だからこその私であり、飲み会が得意で、瓶ビール片手にテーブル間を軽やかに舞い踊るような私は、そもそも私ではない。

そういうふうに思える程度には、成長した。

きっと、そう思ったきっかけでもあれば、この記事ももっと盛り上がったことだろう。しかし、ぼんやりとそう思うようになっただけなので、特筆するような出来事はない。あるいは、この考え方ができたてほやほやで、もう少し冷めてから、時間が経ってから振り返ってみれば、もしかしたらあれがきっかけかもと言えるような何かがくっついてくるのかもしれない。

 

いずれにしろ、私はまだ人生を振り返るには中途半端な年齢だ。  

今の私にあるのは忘れたくても忘れられない日で、記憶に残っている日なんかじゃない。いつかいい意味で忘れられない日を、迎えることができるのだろうか。

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」