8/14くもり、上でも下でもどっちを向いても歩けるし

ブログを書いたり読んだりする元気がなくて遠ざかっていたけれど、過ごしやすい気候になってやる気が出てきた。

日本が沈むのではという勢いで雨が降っていて、笑えない。

 

時事ネタに触れないのは大した思考力もなく中途半端な意見しか持てないからだけれど、某メンタリスト氏の発言について思うところがあったので書いてみる。

彼の動画について、数年前にニコニコ動画でよく見ていた時期があったが、数ヵ月で離脱した。単純に飽きたのだったと思う。彼自身の意見がよかった、というよりは紹介される文献を参考にするために見ていて、おかげさまで読む本の幅が少しばかり広くなった。

 

問題になっているホームレスの方々をめぐる発言について、「自分にとってメリットがない人間(=ホームレスの人)はいなくていい」みたいな話である。メリット、というのは得するかどうかでもあるし、自分にとって大切かどうかでもある。ホームレスの人とは強いつながりがないから自分にとってはどうでもいいです、というのを強い言葉で言った感じ。

賛成するかどうかは別として、「自分に関係ない命は、自分にとって重くない」という考え方があることはわかる。炎上したのは、そこから踏み込んで「自分にとって重くない命」を非常に軽視する発言にまで至ったからだろう。

 

メンタリスト氏の発言は決して他人事ではなくて、似たような考え方は私の中にだってある。つまり、優れているとか役に立つとかで、人を測ってしまう。

私は、自己評価がすごく低い。低すぎて地下にえぐれており、少しの失敗やら何やらで自分はなんてだめな人間なんだと盛大に落ち込むことができる。自分が無能であることを自分で攻撃するんだけれど、それって、少なからず他人にも向いているのではないかと思うのだ。

私は○○ができないけれど、この人はできるから優秀、じゃあ同じくできないあの人は?

だからと言ってすぐにこの世からいなくなれ的な過激思想には飛ばないけれど、「自分はなんてだめな人間だ」からのこの人も同類=だめな人間では?思考にはなりえてしまう。自分に寛容ではない人間が、他人に対して優しくなれるのかという問題。

それは時と場合と自分自身の調子により、自分は自分/ 他人は他人と割り切ることができることもあるし、自分と同じレベルの人間を自分と同じように貶めてしまうこともある。そして、これは自分より上の人や同程度の人の話だけれど、自分よりできない人だったらどうだろう。つまり、自分より下の人間としてより貶めることになるのでは。

正直、そういうことをしてきた心当たりはある。

 

私たちの多くは聖人でもないし天才でもないから、欠点もできないこともたくさん、まあまあ、ほどほどにある。今までも何度か書いてきたけれど、そういうネガティブな要素を修正することももちろん必要だけれど、まあそんなもんだよと言って受け止める度量が欲しいなと思う今日この頃。

人をだめにするソファーになりたい、なんつって、違うか。