6/16晴れ、(真)夜中の雑炊

小学生だった頃は、夜10時以降に何かを食べる行為はどこか悪いことのようだった。本来であれば布団の中にいるはずなのに。母親の顔を窺いながら、けれども、やっぱり食べなきゃよかったなんて思ったことは一度もない。

 一人で暮らしている今、朝からアイスを食べたって、マックのハンバーガーを2つとポテトのMサイズを一度に食べたって、あるいは、何も食べずに過ごしたって、誰にも何も言われない。胃もたれと体重を気にしなければ何をしたっていいんだよ、とあの頃の私に言っても、やっぱり母親に怒られやしないかとどきどきするのだろうが。でも実際、今の私は好き放題にやらせてもらっている。

 

夜食、と言えば一つ思い出がある。小学校は低学年だった頃、母が職場の飲み会に出かけた夜に、父が私と兄弟を隣の隣の街にあるケンタッキーへ連れて行ってくれた。そう、夜食の話だから、夕飯は別に食べていた。

車で片道30分か、もう少しかかるだろうか。いないところでケンタッキーを食べて、母は悲しまないだろうか。そんなことを父に言った覚えがある。おいしかったけれど、楽しいドライブだったけれど、どこか後ろめたい気持ちもあった。

ちょうどスターウォーズのキャンペーンをやっていて、セットを頼むとあの有名なロボット2体(人?)組のおもちゃだかなんだかがもらえて、兄弟はそれを嬉しそうに持って帰った。そうして寝たのは、いつもより一時間も二時間も遅い時間だった。翌日、すでに出勤した父に対して母はぷりぷりと怒っていて、遅い時間まで子どもを連れ回してとかこんないらないものを買ってきてとか。子どもながらに、そんな言い方はないんじゃないかと思ったから、今もこうして覚えている。きっと、ケンタッキーに行ったことすら私以外誰も覚えていないだろうけれど。

今でこそ私たち親子/家族はそれなりにやっているけれど、あの頃はみんな何かに怒っていて、なんだか息が詰まった。ほかの家がどうかなんて知らないけれど、まあ、昔の話。

 

そんな思い出があったから余計に夜食には後ろめたさがつきまとった、が、今やそんなのはどこ吹く風、同じものでも夜中に食べた方がおいしい気すらする。マックでもモスでもケンタッキーでもカップラーメンでもポテチでも鍋焼きうどんでもスーパーで半額のお惣菜でも、お天道様とともに食べるよりお月様を相手にした方が、その魅力は何倍にも増す。しかし、つぶして食べればゼロカロリーというわけにはいかないから、多少、食べるものに気を使うようになってきた。

そこで、夜食としてたまに登場するのが雑炊である。雑炊の素を沸騰したお湯に入れ、ご飯を加えて一煮立ちしたところに卵を割り入れる。ふんわり混ぜたらできあがり。量があってお腹は膨れるがその多くは水分で、柔らかいから消化によい。カップラーメンやジャンクフードよりは添加物も少ないだろう。ということで、夜中に腹の虫が騒ぎ出すような日には、のそのそ台所に立ち、ミルクパンを火にかけてしまう。

雑炊なんて、それこそ子どもの頃は、インフルエンザで熱を出した時しか食べられなかった。ねこまんまとかお茶漬けとかそういう類のものが好きなせいか、私は雑炊も好きで、自分が休んでいる時はもちろん、兄弟の分も時には失敬していた。元気でいるときに食べたいと言っても相手にされないせいか、私にとっては憧れの味とも言える、雑炊。それが、今や好きな時に食べられる!

 

胡麻を入れたり、ネギを入れたり、いろいろなメーカーの素を食べ比べてみたり。ふーふーと飲み込むと、冷め切らないために食道から胃にかけて熱いものが移動するのがよくわかる。そうして小腹を満たしたら、歯を磨いて今度こそ眠りにつく。まだお腹がほんのり熱いな、なんて考えているうちにうとうとし始める。

使う材料は同じだろうけれど、味に変わりはないだろうけれど、なんとなく、母に作ってもらった雑炊が食べたい。