散歩していたら大きい木を見つけた。興奮する。
高いところ・暗いところ・せまいところ、が好きでかの有名な三大恐怖症とは無縁の日々を送ってきた。冒頭で述べた通り大きいのも平気だが、先日、集合体が怖いという人の気持ちを少しわかりかける場面があり、その程度の共感力はある。饅頭はとても怖い。
しかし、階段が苦手だ。足元を確認しながらでないと階段が使えない。前を見たままであったりましてやスマホなぞをいじりながら階段を使う人が、本当に信じられない。少し調べると階段恐怖症というものがあるそうで、さすがに、日常生活で支障が出るほど階段を苦手としているわけではないが、その気持ちはわかる、ということが書いてあった。
目の前にある木は大きいし、葉っぱがたくさんついているのでもしかしたら集合体恐怖症の人には嫌なものと写るかもしれない。そうであれば、私は集合体が平気でよかった。
はだかの枝しかなかった木が、いつの間にか緑色でふさふさになっている。その新陳代謝がうらやましい、が、自分で動けないのに栄養や水分を確保するのは大変だろうと想像する。我が家にある植物は、水をあげなかったりあげすぎたりするとわかりやすく態度に示す。晴れが続いたかと思えば雨の季節になる、そんな環境にいるのに平然としている木々は寛大である。
それとも、私が気づいていないだけで十分不貞腐れているのだろうか。
思い切り腕を伸ばすように枝が広がっているけれど、地下では同じように根っこが伸びていると聞いたことがある。本当かどうかは知らないが、そうであれば私の足元は大変な交通渋滞であり住宅密集地であり、とにかくとんでもないことになっている。ただ、それだけ繋がっていればなんだか頼もしい。
やはりここでも自宅の植物を思い出す。枝が伸びてきたから、根っこも伸びたがっているかもしれない。以前、一つだけ植え替えたときは根がぎちぎちでもう少しでブラックホールになりそうな圧縮加減であった。ブラックホール予備軍はまだ2つある。やらねばと思いつつ、あの時の大変さに少し面倒になっている。放っておけば、我が家から地球は崩壊するのだろうか。
適当に散歩して、適当に店に入ってコーヒーを飲みながら読書した。伊坂幸太郎が読んでみたくて、しかし数が多くてどこから読んでいいのか迷っていたので友人にアドバイスを受けた。ミステリー小説で、最後に大どんでん返しをくらうのが心底悔しいのでありとあらゆる結末を、登場人物が全員死亡してしまうような最後まで予想しながら読む。
こちらの風呂敷を広げすぎたおかげで、小説の面白さが半減した気がする。読み進めてひっくり返される楽しさを、素直に享受したい。
友人と会ったり連絡を取ったりして、(いつかはわからないけれど)会おう!という話をした。どれもみな、私の住んでいる街に遊びに来ることになっている。来る来る詐欺で来ないだろうというひねくれた気持ちを抱きつつ、来てくれればとても嬉しい。
素直さというものが、散歩中に見たあの木にはあったのではないだろうか。
大きいね〜