4/20晴れ、縮こまらない世界

恋人が欲しい。

……なんて書いたけれど、恋人という存在が欲しいというよりは、今、自分にある人間関係とはまた違う築き方をするつながりを持ちたいみたいな。刺激がほしいみたいな。新しいことがしたいみたいな。

 

もともと、交友関係を広げる(深める)ことが苦手であるのに加えて、感染症のせいで人と出会う機会も減り、ここ数年は人間関係がかっちり固定されてしまった。仕事の関係者に少し入れ替わりがあったくらいで、友人と呼ぶカテゴリーの中身に変化はほぼない。いや、それこそ会わない/会えないせいで疎遠になり、どちらともなく友人枠から外れる日も遠くはないかもしれない。

気軽に会おう!ができなくなったせいで気づいたけれど、私は人と話すのが好きだ。決して決して、私自身は話がおもしろいわけではないしわかりやすく話せるわけでもないし何時間もにこにこ聞いていられるわけでもない。興味関心の幅はせまく必ずしも相手と話題を共有できない。オチを言う前に自分で笑ってしまうことが多々ある。だからといって話を聞くにもうんうん首を上下に動かすのがわりと疲れる。

会話という行為自体は苦手かもしれないけれど、でも好きなのだ。

人と会って話をする。それの何が楽しいのかというと、世界が広がる感覚だろうか。先ほど述べた通り、私の興味関心はとても小さい範囲にしか及んでいない。おもしろそうだと反応する嗅覚が鈍いのだ。そんな私に、誰かがおもしろいことを教えてくれる。そんなことがあったのかと初めて出会うこともあるし、噂には聞いていたけれどどうなんだろうと及び腰になっていることの場合もある。事物だけではない、考え方だって、そうくるかと思うことがある。

 

話は戻り、人間関係が固定化されてしまったせいで、なんとなく物足りなさがある。

それは別に今の友人たちとの付き合いがつまらないということではなく、また別の世界が見たいということである。例えば、友人たちはブログを(おそらく)書いていないのだけれど、ブログの書き方について話せるような友人がいたらいいなとか。

自分の中で話したいことがあるけれどその話題を共有するのに適当な人がおらず、自分の中で詰まりを起こしているような。外からの刺激も似たようなことばかりになってしまって、少しつまらないような。別の話題を共有できるような人と出会いたいような。

友人たちとはそこそこ長い付き合いで、たまにおっと驚くこともある(そんなこと知ってたのか!)けれど、おおよそスムーズに会話を行うことができる。つるつるしたなめらかなところばかり触っていて、そろそろざらりとした感触が恋しくなってきた。つまり、これはとても贅沢でわがままなことなのだけれど、手探りでお互いが歩み寄るような、初々しい会話がしたいのだ。

こんなことを考えるのは、春という出会いの季節に、家にこもってうだうだしているせいである。

 

5月、東京方面へ出かける計画を立てた。よく知っている友人たちとはさらに交流を深めたいし、まだそこまで仲がよくない人とも交流は深めたいし、とにかく、友人と呼べる人は大事にしたい。そして、ギブアンドテイク、私もおもしろいネタを提供しなければという使命感のもと、今日も今日とて……何かする。

それは誰のためでもなく、私自身が世界の楽しさを見つけたいという私利私欲のためである。友人各位にはお付き合い願いたい。ついでに、いい人がいたら紹介願いたい。