毒か薬になりたい2021年

水抜きはうまく済み、無事に実家へ帰ることができた。

準備だ何だで帰る前は面倒だったけれど、帰れば帰ったでそれなりに楽しく過ごしていて、現金だなあと思う。久しぶりに大量の雪を見たお正月だった。

 長時間のバラエティが続いてニュースがちょびっとはさまるテレビ番組の編成は、年末年始の特別感があって楽しい。31日は家族とガキの使いを見つつ、気づいたら紅白歌合戦にチャンネルを回していた。おもしろ荘を最後まで見ないで寝て、起きたら外はこんな感じ。

f:id:uhi13:20210102224231j:plain

 アパートに帰ってきて、閉めきった部屋の中はまだ2020年の空気が漂っていたため、まずは大きく窓を開けて2021年の空気を迎え入れた。あと10日くらい休みたい、もうちょっとおめでたい雰囲気でいたい、のに月曜日は情け容赦なくやってきた。無慈悲。

 

*****

去年の今頃、希望を抱きつつネットで拾ったシートに目標を書き込んでいた。会いたい人、みたいな項目には遠くにいる友人たちの名前を書き連ねたけれど、こんな状況なのでほとんど会えずに終わっている。引き続き、今年も何が起こるかわからない。目標は自分一人で達成できるようにした方がいいかも、そう思って目標を立てた。

毒にも薬にもならない、という言葉がある。可もなく不可もなく、悪くもなくよくもなく、あってもいいけどなくてもいいんじゃない、という意味。そこから取って、今年は毒か薬か、どちらかになりたいと思う。

 

緊急事態宣言が出るそうだ。インターネットなどを見る限り、肯定派もいないことはないけれど、「よく判断した!」と拍手を送る人はなかなか見つけられず、遅すぎるとか、そんなこと言われても困るとか、否定的な意見が目に付く。政治への意見なんて、そういうものなのかもしれないけれど。

成人式も、延期や中止となったところは少なくない。出たかったと嘆く人、命より大事なものはないと納得する人、別にどっちでもいい人、抱く感想はそれぞれだろう。せっかくの稼ぎ時なのに、と頭を抱える人もいるようだ。

どちらの問題も、これが唯一絶対に正しいという答えはない。だからいろんな意見が出て当然だよね、それぞれの立場とか状況を考えてみましょうねと言ってお茶を濁すのが今の私。今後の私はどうなのかというと、そりゃいろんな意見もあるけれど、私はこう思うのよと言えるようになりたい。あまりにも小さいことだけれど、今年はできるだけ白黒はっきりつけたいのだ。

 

仕事で、白か黒かはっきりさせることが求められるようになってきた(何年社会人やってるんだ!)。白の立場もわかる、黒の立場もわかる、じゃあ私はどちらを取るの?うまく白も黒も生かせればいいけれど、場合によってはどうしたってどちらか片方しか選べないときがある。その、どちらかを選ぶ私の中の判断基準がぶれぶれで、ダメじゃん!と情けなくなった。

私生活だってそうだ。誰かと話すとき、衝突したくなくて当たり障りのないような着地点を探している。……そうか、ぶれているのではなくて、誰かと対立しないかどうかが判断基準になっているのか。だから白か黒かを決められない。

自分のことだからよくわかるけれど、誰かを傷つけたくないという建前の後ろには、傷つけた場合の責任を取りたくないという本音がすっぽりと隠れている。私は、自分の言動で誰かが困ったり悲しんだり悩んだりした場合に、「あなたのせいです」と言われるのが怖いのだ。

 

薬はともかく、毒になれば誰かを傷つける可能性は大いにある。積極的に傷つけようと思っていなくても、相手が勝手に傷つくこともあるわけで、誰も傷つけないなんてことはできないのではないだろうか。それでも傷つけたくないと言うのであれば、私が自分の言動に責任をもって、あなたの傷が回復するまで付き合います、くらいしなければならない気がする。

私にとって、毒か薬になりたいという目標は、「自分の意見を言う」という小学生的発想から少し大人になって、でもやっぱり小学生かと言いたくなる、「自分の言動に責任を持つ」ことにつながっている。私のせいで誰かが傷ついたら、その人に真摯に向き合えるように、私は自分の言葉と行動に自信をもちたい。そんなことを考えた2021年。

 

2020年はいろいろあったけれど、2019年もその前もいろいろあったはずで、でもわりと覚えていない。2021年もいろいろあるだろうけれど、2025年頃になったらだいたい忘れている気がする。

あまり細かいことは気にせず、みなさま、2021年も楽しく過ごしましょう。

f:id:uhi13:20210106214557j:plain

心が小学生なので、おめでたいときには口に出さずおめでたい焼き~と叫んでいる