3/27晴れ、気もそぞろなライブラリー

天気がよくて、散歩がてら近所(徒歩で行くことはできない距離だけれど、大きくみれば近所)の図書館に行ってみた。何年ぶりだろう、学生のとき以来かもしれない。

 

有名建築家が設計していたり、企業が運営に携わっていたり、そういう話題に事欠かない図書館ではない、ただの建物に本が詰まっただけの公営図書館だ。入館するとき、無断持ち出し防止用のブザーが作動しやしないかとどきどきしながら、中に足を踏み入れた。

確かに静かなんだけれど、うっすらと音が聞こえる。思ったより人がいる、のは休日だということを考えれば当たり前かもしれない。感染症の影響か、スペースが広めに区切られた机の空きはなかなか見つけられない。少し奥まったところに、やっと落ち着いた。

私は図書館が苦手だ。正確に言えば、図書館で勉強することが苦手である。集中力はないどころかマイナスなので、周りに人がいるとどうしてもそちらが気になってしまう。だから、高校時代に図書館で勉強するという級友たちが信じられなかったし(なぜそんなことができるのか)、羨ましくもあった(いかにも受験生らしい行動だ)。

今日は勉強ではなく、本を読みに来た。積み本の解消である。図書館は利用料金もかからないし、どんなもんかと試しに来てみたわけだ。

 

隣の席は外国の人だ。ところで、外国の人という表現は正しいのだろうか。この隣席の人は、見た目はヨーロッパや北アメリカと呼ばれる地域に住んでいる人種に見える。頭髪は明るいし、顔の作りや体格は慎ましやかではない。けれど日本国籍を持っていれば日本人だ。必ずしも、海外から来た人という表現は適切ではない。

いろいろ配慮しすぎというか考えすぎというか、世の中そんな気がする。誰も傷つけないように、と気をつけて注意をして、そうしてやっと発言するみたいな。さまざまな人がいる前提で話をするのはいいことだけれど、そのことに意識を向けすぎて話の方向がおかしくなったりもする。気をつける人がいれば気をつけない人もいて、誰かを傷つけることがあってそのことに気づいたら、その時に謝るなり説明するなりすればいいのでは。

一方的に叩いたり擁護したり、だからインターネットは苦手なんだよなとよくわからないことを考えていたら、隣席の人は席を立った。大きくて黒いリュックを背負っている。その中には何が入っているのか。

 

本を読むのに戻る。ほら、気が散っている。次に座ったのは学生っぽい人だった。衝立があってよくわからないけれど、本を出して何やら書いている。かちゃかちゃと音がして、修正液かあるいはポスカでも使っているのだろうか。館内を見ると、高校生より年上の学生が多い。みんな何をしているのだろう。向こうの席の人は、パソコンを開いて腕組みしたまま眠っているし、その隣の人は何やらずっとペンを走らせている。

自分は大学に行って何をしていたっけ、ニコニコ動画ばっかり見てたな。当時見ていたゲーム実況者はほぼYouTubeに拠点を移し、今でも活躍している。全ての動画を追いかけているわけではないけれど、10年近く同じ人の動画を見ているのかと思うとくらくらする。今のニコニコ動画は会員登録しなくても見ることができて便利だ。

 

隣席の人は、本をしまってはまた新しいのを出してかちゃかちゃやる、のを何度か繰り返している。何冊の本を持ってきているのだろう、気になる。一応、私自身の読書もそれなりに進み、だんだんお尻が痛くなってきた。そろそろ帰ろうか。たまにはこうして図書館に来るのも、悪くないかもしれない。

もし、私に注意を向ける人がいたならば、「顔を上げてはきょろきょろして、落ち着きのない人だな」と思っているだろうか。