「明けない夜」がないとかあるとかどうだとか

明けない夜はない、という言葉がある。中学校の昇降口にこの言葉が額に入れて飾ってあって、すでに世界の全てに難癖をつけないと気が済まなかった私はこの言葉も「なんだそれ」とさっそく蹴り飛ばした。

 

2021年はあまり楽しくなかった。職場の人間関係がめんどい、なかなか友人に会えない、増えた体重は元に戻らない。真っ暗闇の中にいたとは言わないが、薄暗い道を歩いていた気分ではある。

シェイクスピアは『マクベス』が出典とされる冒頭の言葉は、多くは慰めや励ましの言葉として紹介される(と思う)。悲しいことや嫌なことはいつまでも続かないよ、いつか必ず終わる時がくるよ、そういう意味で使われている(はず)。あなたに何があろうとも地球は回り続け、あなたがいるその場所も夜から朝へと切り替わっていく。

確かに、冷静に考えれば明けない夜はないのかもしれない。しかし、夜を不安と共に過ごす人間にとっては、この言葉に意味はない。そりゃあ朝はくるでしょう、でも私は今この瞬間がつらいんですよ、いつになるかわからない先のことなんて考えられないよ!

今感じている苦しみをどうにもできなくなると、だんだん自暴自棄になってくる。朝がくることが想像できないし、いつになるかわからない瞬間を待つのも嫌だ。もう全てが面倒で、いっそこのまま夜明けなんてこなくていいから、ギブアップしてしまいたい。

頭でどれだけ嫌だ嫌だと唱えても、心臓は動く。そういう仕組みで本当によかった。

 

どうでもいい話をする。私は仕事で大ぽかをしたことがある。(適切な表現ではないけれど)誰かの命をどうにかしていないだけマシと言えるかもしれないが、他人様へかけた迷惑はゴジラ級だ。

最初は、これから向き合わなければならないものに恐れ慄いた。もちろん、自分はどうなるんだろう、周りからどう思われているんだろう、という我が身可愛さの心配もあったけれど、問題そのものに向き合わなければならない方が怖かった。できると思っていたものができていたつもり、できていないかも、できていないへと転がっていくのを、改めて思い出して言葉にしなければならないことに心臓が爆発しそうだった。

それはつまり、自分の能力不足や仕事に対する不誠実さ、無責任さ、甘さと向き合わなければならないということだったから。自分が情けなくて、惨めで、恥ずかしくてどうしようもなかった。

結論から言うと、自分のダメな部分と向き合うことは思っていたほど苦痛ではなかったし、自分を貶めることもほどほどで済んだ。全くなかったとは言わないけれど、想像していたほどのダメージは受けていない。それは、いろいろな配慮があったおかげであるが、私自身の想像力が豊かすぎるせいでもあったと思う。

 

渦中にいるときは真っ暗で、どこを向いたらいいのかもわからない。いや、本当はどちらに向かえばいいのかわかっているのだが、そっちに行くとどうなるんだろうと恐怖で足がすくむ。

しかし、である。暗闇から何が飛び出すのか、それは確かに怖いんだけれど、実際行ってみると思っていたより怖くないかもしれない。歩いていたら車が通りかかってすんなり抜けられるかもしれないし、やっぱり、じっとしているのが吉の場合ももちろんあるかもしれない。

言えるのは、行ってみないとわからないということだけだ。溢れんばかりの想像力こそが、恐怖の源なのかもしれない。……と書いていて、私自身まだまだ足が止まってばかりだけれど。

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小休止

 

白いセーターがすごく透ける、食べたいコンビニスイーツがいつも売り切れ、ふるさと納税の書類が見つからない。どんなにいいことがあっても、少しの出来事で私の機嫌はたちまち悪くなる。同時に、怒りや悲しみの中にあっても、天気がいいとか、髪型が決まったとか、推しが今日も尊い!とか、小さなことの積み重ねで元気を取り戻していく。

微動かもしれないけれど、私の調子は低いまま横這いで推移する直線では決してない。そう思うと、少しばかり毎日が楽になった(そしてずっと横這いのままなら、それは専門家に相談すべきなのかもしれない)。

今日が苦しいから、明日も一週間後も一ヵ月後も半年後もずっと苦しいとは限らない。途中で状況や自分の考え方が変わって楽になることもあるし、小さな積み重ねでガタガタながらも右上がりの線が引けることもあるだろう。

先ほどまで爆発していた想像力はこういうときに限ってどこかに引っ込んでいるが、働いてもらわないといけない。落ち込んだ気分の中で、自暴自棄になってもう嫌だと叫びたいときに「今よりマシな未来」を想像するのは大変だけれど、そう思うしかないし、わざとそう思うようにしないと私たちは夜明けを迎えられない。

 

明けない夜はないとは言い切れないが、明けない夜はないはずだと自分をごまかし夜明けがくることを信じないと、空は明るくならないのではないだろうか。そんなことを考えて、やっと年末である。