11/11雨、そう言われたらそんな気がする問題

一昨日が私の住んでいる街の初雪平年日だったらしい。まだ、山にも白い部分がほとんどないし、今年の雪は遅いのだろうか。気づけば街路樹はすっかりさみしくなっており、びっくりしたのだが。

 

ADHDの可能性がある、と言われた。通っている心療内科での診察中、医師が何かにひっかかったらしく後ろの本棚から一冊の本を出してきた。タイトルにはADHDの文字。追加で簡単な問診を受けて、詳しく検査する必要があるかは次回お知らせしますね〜、とその日は終わった。

なんとなく、そういう傾向はあるかもな〜〜〜と思っていた。それが鬱からくる一時的なものなのか、もともとの性格なのか、環境に左右されているのか、はたまた脳の機能的なものなのか。その由来がわかる(あるいは、これではないと可能性が消える)ことで対策も立てやすくなるだろう。それはよいことで、今の時点ではその程度の話である。

 

のだが。

そう言われてしまうと、なんとなく意識してしまう。以下、専門外なので勝手なイメージが多分に含まれます。ご注意ください。

多動性、衝動性、そして不注意。ずばりADHDではなくても、多かれ少なかれ誰にでもそういう部分はある。その中で、私は「不注意」と呼ばれる行動をとりやすい。例えば、ケアレスミスがめちゃくちゃ多い。

「多い」と言ってもどこからが多くてどこからが許容範囲なのか、という疑問はある。他人と比較したり今まで言われてきたことを振り返ったりした上で「ケアレスミスが多い」ことは以前から自覚しているけれど、ADHDの言葉を聞いてからはその単語に引っ張られているように思う。つまり、言われたら余計にそんな気がするのだ。

 

簡単な問診、と言うのはチェックリストで当てはまるかそうではないかを答えて、それをもとに医師とは別の人(臨床心理士の方だろうか)の質問に答える、という形式だった。「よく忘れ物をしますか」「片付けは得意ですか」等々、ADHDに当てはまる行動が並んだチェックリストを睨む。自信をもって全く当てはまらないと答えられたのは「順番を守らない」だけで、それ以外は言われたらまぁそんな気がする、うーんどうだろ……と思いながら答えた。

もちろん、全く忘れ物をしないことはない。けれど、目立ってする方でもない。ただ、思い出されるのは忘れ物をした瞬間のことばかりで、あれ、結構忘れ物するかも、となる。

これがネット上によく転がっている診断サイトだったら、悩まず答えられただろう。忘れ物なんてしないしない。けれど、その可能性を指摘されてしまったものだから、もう意識が「ADHD」に向いてしまっている。些細なことからもそのかけらを拾おうと必死で、結果、記憶の底からいつかの忘れ物を呼び起こす。そして「私」は、それをたまたまだと笑って見過ごすことができない。

 

言われたらそんな気がする。この壺を買えば幸せになれる気がする、この水を飲めば体が軽くなる気がする、豚もおだてりゃ木に登る。じゃあ、あなたは美人ですよ、天才ですよ、と言われればそんな気になるのだろうか。残念なことに、なぜかそうはならない。先ほどまでそんな気がすると混乱していた脳は、急に冷静になって「それはない」と強く否定してくる。

騙されやすいのかそうではないのか、我が脳みそながらよくわからない。いや、自分のことだからよくわからないのだろう。私は忘れ物をよくするのかそうではないのか、今となってはそれすらも判断できないが、調子に乗って「私、かわいいかも」と言ったところでやっぱり「それはない」と返ってきてしまう。なんて愚かで正直な脳みそなんだ。