6/21夏至、アンドロイドじゃないから夢くらい見る

不思議な夢を見ました。

学生時代の友人と、一緒に働いた人と、そして家族と、とにかく大人数で旅行に行きました。引率者がいて、行程があって、行動するグループも泊まる部屋も何もかも決まっていて、まるで修学旅行のようです。 

 

覚えているのは、私たちが大型バスに乗り今晩泊まる宿に到着したところからでした。ふもとには海が広がる山道を、くねくねと登ったところにあるたいそう立派な宿の入り口で、引率者から何時までに食堂に来るよう、指示がありました。それまでは自由時間です。

同じ部屋になったのは、特に仲もよくない(むしろ苦手な)学生時代の先輩二人でした。これから過ごすであろう重い時間を想像したとき、不意に、林の向こう側に広がっているはずの海が見たいと強く思ったのです。山道を戻れば海が広がっていますが、勝手に宿を出て行けばきっと叱られます。けれど、海を見たいから外出してもいいかと尋ねたところで、許可はおりないでしょう。

私は、部屋に向かう人の波に逆らって玄関を目指すことにしました。途中、かつて一緒に働いていた方にどこへ行くのかと尋ねられましたが、忘れ物を取りに行くのだと嘘をつきました。後で部屋に行ってもいいかとさらに聞かれましたが、それ以上話していると嘘がばれそうでしたので、いいですよと答えて今度は走り出しました。

 

人でごった返した玄関を飛び出してもう少し走り続けると、小さな公園がありました。今にも雨が降りそうな曇天です。黙って抜け出しましたが、私がいないということで騒ぎになるのも嫌なので、母に事情を説明しておこうとスマホを取り出しました。一件、知らない番号から着信が入っていて、もしかしたらすでに出てきたことがばれているのかもしれないな 、と思いつつ母の番号を探します。

電話に出た母は楽しそうで、旅行を満喫しているようでしたが、私はそれに違和感を覚えました。あんな窮屈な旅行の、何が楽しいんだ。

宿を出てきたことと、このまま自力で帰るので私のことは心配しないでほしいこと、引率者にも伝えてほしいことを言いました。驚きながら、なぜそんなことをしたのか、何を考えているのかと言う母の声が聞こえます。それを無視して通話終了の表示を押すといよいよ雨が降り出し、傘を持っていないのにな、と困ったところで目が覚めました。

夢なので変なところもありますが、とにかく、うまく宿を抜け出すことができてよかったというのが起きて最初の感想です。そして、私は海が見たいのか、というのが第二の感想でした。

 

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最近、何もおもしろくない。特に楽しみもないし、生きるのが面倒でどうしようもなくなったら死んでしまおうか、そんな物騒なことを考えながら過ごしていたのが、ここ最近の話。

死にたいのか、と言われると決してそんなことはないが、死んでもいいかな、とは思ってしまう。例えば、車が飛び込んできたとして、がんばれば避けられるんだけれど私はそのがんばりをせずに轢かれてしまう、という具合。あまりよくない例えだけれど、伝わるだろうか。ご飯はきちんと食べているし、お金は無駄遣いするし、Youtubeを見てふふっと笑うしで、悲壮感はあまりない生活を送っているけれど。

 

ただ、面倒になったら死ねばよい精神でもろもろのことを中途半端にしていたら、少しばかりツケが回ってきた。今は少しで済むけれど、このまま放置していたら本当に面倒になって死にそうだ、と(一応)焦って、この思考回路をどうにかしなければと行動し始めたのが、もう少し最近の話。

行動とは大げさで、実際に始めたのはヒントが書いてありそうな本を、心理学系とでもいうのだろうか、そういう本を何冊か読んでみた。気力が湧かなくて、といくらかマイルドに、通っている心療内科の先生にも相談した。私の性格とか考え方に問題があると思うんです。そういう前提で答えを求めていたけれど、書かれていたのは、返ってきたのは結局、「人は簡単には変わらない」ということだった。

 

そんなことをやっているうちに、冒頭の夢を見た。それが深層心理のなせる技なのか、うまく空気を読んだ私の脳がいい感じのストーリーを作ったのか、それはわからない。けれど、あまりにもタイミングのよすぎる内容だった。

結局のところ、私は海が見たいのだ。人の和を乱し、後々怒られることになっても、海が見たいと思った私はどうしたって海を見るまで気がすまない。そういう頑固なところが、昔からあった。中途半端に完璧主義で、これだと思ったことはどうしたってやり遂げたいが、それができなければ途端に何もかも嫌になってしまう。いつもは適当なくせに、これだけは絶対に譲りたくないとか、何が何でも負けたくないとか。

小学生の頃、風景画の課題をやっていたら教師に手を加えられたことがあった。鮮やかで生き生きとした立派な枝垂桜が画用紙の上に誕生したけれど、これはもはや私の作品ではないと、大好きな図工の時間に一人ふてくされたのを今でもよく覚えている。そういえば、二度と絵筆は他人に渡さないぞと密かに誓ったんだっけ。

そうして思い出して、このところの無気力状態は、もしかしてあの時と同じなのではないかと思い当たる。大事なものを他人に渡してしまって、もうやめだやめだ、後は勝手にどうぞ、と投げやりに言ってしまいたい感覚。いつ間にか、私は筆を手放していたらしい。

 

その後なんやかんやあって、とにかく、今となっては私が主役の素晴らしき人生を謳歌しています!なんて結末があればこの文章もきれいにまとまるんだろうけれど、残念ながらそんな結びにはならなかった。

私の画用紙は誰かにいろいろ描き加えられてしまって、本当は新しい画用紙が欲しいところだけれど、紙はこれ一枚しかもらえないそうだ。けちくそ。塗りつぶすなりこの描いてあるのを生かすなりしなければならないが、そうだ、筆を探さなくては。でもどこを探せばいいんだろう、とぐずぐずしているのが今の私。

ああでもないこうでもないと考えるのはもはや趣味みたいなもので、次から自己紹介は「趣味:悩むこと、特技:ネガティブ思考」にしてやろうと思っている。ついでに言うと、考えることはできても実行に移すのはからっきしだめなので、「座右の銘:机上の空論」も付け加えたらいいかもしれない。何がいいのかは知らないが。

 

どうせいつまでも「見たかった」と後悔するのだ、海が見たいなら見に行けばいい。なんて言っている間にも、とにかく、行動力のある人からはやく行けと蹴り飛ばされそうだ。つまり、自分の欲望に素直になったらどうだ、という話。

前言撤回、今年下半期は「座右の銘:案ずるより産むが易し」にしよう。