「自分を大事に」なんて、簡単に言ってくれるな

 自分を大事にするために、言い訳が必要だという話。

1年前、webメディアに記事を寄稿させていただいて、何とも偉そうなことを書いた。なにはともあれ自分を大事にしようね、みたいなやつ。

しかし、私は自分を大事にできているのだろうか、いまだに疑問である。ていうか、自分を大事にするってなんだ。自分で書いたくせに腑に落ちなくて、結局、この1年間は「自分を大事にする」ことばかり考えていた気がする。

 

自分なんかが楽しい(幸せ)と感じていいのか、と考える瞬間がある。例えば、美味しいものを食べる、欲しいものを買う、遊びに出かける。楽しいと思うのと同時に、「仕事もろくにできないくせに」という言葉が、いつも頭の中に浮かんでくる。楽しいと思いつつ「いいのかな」と不安になったり、挙句楽しい行動をためらったり。

正体のわからない罪悪感が、どこからともなくやってくる。できていないところを挙げて、それをほっぽり出して私は楽しい、嬉しい、幸せな気持ちでいる、いいのかな?「私」よりも大事なことがあって、常にそっちを優先してしまう、あるいはそうすべきではと悩んでしまう。

私には幸せになる権利がないとばかりに、あえて不幸に身を投じてしまうような、考え方。この思考に陥っているときは気付かないのだが、書き出してみれば、自分をないがしろにし過ぎでは、と思う。

こういう考え方をするのは私だけではない気がするのだが、いかがだろうか。

 

仕事ができないから楽しいことをしてはいけない、わけはない。友人に対してなら言えるんだけれど、なぜだか自分に対しては言ってあげられない。じゃあ明日から仕事を頑張ればいいさ、それだけのことなのに。

一種の完璧主義なのかもしれない。すべてできる人、非の打ちどころがない人だけが許される(幸せになれる)、みたいな。宿題が終わったら遊びに行く、そんな子ども時代の言いつけをいつまでも守っているような。ばかに真面目過ぎる、あるいは頑固とも言える。

自分なんか……と卑下する暇があるのなら、その、ちょっと(かなり)ややこしい性格を直す努力をした方がいい。もちろん、私も含めて。

 

ポイントは、常に完璧ではない自分、を受け入れられるかどうかだ。うまくいくこともある、失敗することもある。失敗したからもうダメだ……と落ち込むのではなく、残念!まあそういうときもあるよね、いつもうまくはいかないよね、くらいに考えられるか。

こうしたい、こうあるべきだ、という理想像があって、その通りできるのが一番かっこいいかもしれない。しかし、その時の忙しさとか問題(私の場合は仕事)の難しさによって、「常に」そうできるとは限らない。100の完成度で解決しなければの一択ではなく、できるなら100に近い状態で早めに片付けたほうがいいとか、70でもいいかも?とか、後回しでゆっくりやろうとか、そういうグラデーションで考えてもいいのではないか。

状況に応じて、問題をさばく。問題はいずれ解決しなければならないけれど、先に処理しなければならないかどうかはケースごとに異なる(よく研修に出てくる、緊急度×重要度の問題)。後回しにしていい問題に対してまで、「終わってないけどどうしよう」と不安になる必要はない。計画的に残しているんです、と誰かに言い訳する。

あるいは、今の自分の調子が問題を解決できる状態なのか、という点も配慮しなければならない。疲れて頭が働かない、体調が悪い。その状態で1時間もかかることが、寝て起きたら15分で終わることだってある(かもしれない)。あまり自分の能力を過信してはいけない、とも言える。構造上、頭と身体は8時間もフル稼働できないらしいし、一定の休みは必要だ。

 

私と同じタイプの、変に完璧主義な頑固さんは、常に問題を優先し、そうしないことを甘えやさぼりだととらえるかもしれない。しかし、今すぐ問題を解決するよりも、例えば気分転換することで効率化につながるのであれば、それは合理的な判断で、必要なことだと言える。

できる人から見れば、何を訳のわからんことでぐじぐじ悩んでいるのだ、と思われるだろう。そうなんだけれど、できないんだから仕方がない。

 

もう一つのポイント。なんで、自分を大事にしなきゃいけないんだろう。

原点に立ち返ると、解決すべき問題、だいたい自分以外のことなんだけれど、を優先した挙句、自分のことをないがしろにしてしまって、身(あるいは心)がもたないからである。大げさに言えば命の危機だ、それは大変。

自分が倒れて迷惑をかけるよりは、自分の調子を優先しつつ仕事を多少ためて迷惑をかけていてもとりあえず元気に働いている方が、周囲に与えるダメージは軽いのではと考えた、というか実際そうだった。そう、情けは人のためではないように、私を大事にすることは私のためではないのだ。

美味しいものを食べる、欲しいものを買う、遊びに出かける。そうしてライフが充実したならば、さあ、明日からのワークを頑張ろう、つまりはワークライフバランスの問題。ああ、どこまでいっても他人優先なのがいささか悲しく、結局は仕事中心の生き方でなんとも不本意である。

他人に迷惑かけると悪いから適当に自分を大事にしつつ頑張るか、というのが私の現状である。こうやって、あーだこーだと理由をつけないと、私は自分のことを大事にできない。たぶん、向いていないのだ。向いていないけれど、さっきも言った通り倒れたりしたら大変なので、ごまかしながら自分を大切にしている。

ということで、ブラックフライデーからのサイバーマンデー、何買おうかしら!

  

どうしようもなく情けなくて悲しくて、自分なんか、と思う瞬間があった。何の役にも立たないのになんで生きているんだろう、と本気で考えていたのに、気づいたら、そんな日のことをすっかり忘れている自分がいる。時間が全てを解決してくれるわけではない。自分なりに折り合いをつけて、なんとか忘れることができた。

最近はちょうどみんな、マスクをしている。再び、自分なんかと思う瞬間がきたら、そう思わせた出来事にあっかんベーをしてやればいい。そのための体力だけは、忘れずに残しておきたい。それも、自分を大事にするための理由になる。