11/22くもり、住所があるからまた会える

先日ブログに書いた葉っぱさんはお店にまだいらっしゃって、無事に今日から一緒に生活することになった。葉っぱを見ながらニヤニヤしているのも十分やばいが、こっちばかり見ていたらあっちの葉っぱがさみしがるのでは?という考え方もやばい。

 

ここ一ヵ月くらい、本を読んでいなかった気がする。何をして日々過ごしていたのかと振り返れば、これも先日書いたとおりゲーム実況を見ながらごろごろしていた。

久しぶりに大型の書店に足を運ぶと読書欲が私の中に帰ってきたのか、あれもこれも、と言っても結局文庫本を3冊だけれど、気になったものを購入した。全部小説である。Amazonを覗いては気になる本をチェックしていたけれど、データで見るのと現物を前にするのとでは、「読みたい本」に若干の差異があっておもしろい。

紙の本と電子の本、とりあえず併用しつつ利用してきた。特に、電子書籍はキャンペーンによりかなりお得に本を購入できるし場所も取らないしで、端末一つに、私はkindleを使っていたのでその中に、持っている本が全て詰められたら便利だなあと思う。実際、できるだけ本は電子書籍を購入するようにして、電子化されていない本を紙の本で購入してみた。

……のだが、いまいち頭に入ってこない。話は追えるんだけれど、読み終わった後に、印象に残る部分が見つけられない。もう1回読んでみる。文章の上をつつーっと滑っていく感覚。私の理解力がないのは百理あるけれど、でもやっぱり、個人の感想としては読みにくい。なんでだろうと思っていたら、この間、これか?と思う出来事があった。

 

無料ということでオーディオブックを初めて利用して、外へ出かけるときに聴くようにしていた。歩きながら聴いているので残念ながら聞き漏らしも多く、2回目を聴こうとスタートボタンを押す。ふーん、へー、ほー。あ、ここは聴いた覚えがあるぞとなったとき、頭の中に浮かんだイメージは、自宅近くの道だった。その道を歩いてるときに、聴いたのである。

本を読んでいるとき、その内容を理解する(記憶する)のは目や耳だけではない。どんな天気で、どこで、どんなにおいの中で、私自身はどんな気持ちで、といった本以外の情報も一役買ってくれるようだ。コーヒーを飲んだ時に、ちょうどコーヒーを飲みながら読んだ本の一文を思い出す、みたいな。そういえば、『ドラゴン桜』だったかの影響で、体を動かしながら暗記をするといい的な知識が、高校内で一瞬だけ流行った気がする。

 

紙の本と電子の本の違いで、個人的に一番大きいと思うのは厚さの有無である。電子書籍も進捗状況を%で教えてくれるけれど、私はいまいち慣れなかった。あの本の最初の方だったな、最後だったな、という記憶はたまに全く信用できないけれど(全然違う場所じゃん!)、私の場合、本の理解はそういう位置情報に深く結びついているのではないかと思う。

電子書籍は、文字の大きさのを変えると文章の位置が変わり、ここにあった文章が、少し下にずれている、という動きが生じてしまう。紙の本では、ハリー・ポッターでもない限りそんなことは起こらない。こんな文章があったな、ではなく、前半のページの真ん中あたり、という位置情報があってはじめて、私は本に引っかかりを見つけることができる。

どういう理屈かは知らないが、「文章の動かなさ」に、私の脳みそは依存しているのだ。オーディオブックなんて不定形だから、がっしりとした「場所」と結び付けて覚えていたのかもしれない。

 

私のkindle集約大作戦は、達成されずに終わりそうである。