大事なことを忘れてしまって、別の大事なことに辿り着く

「仕事、休んでみますか」

そう言われてから一年がたった。天井を見つめ、動けずにベッドの上でただ寝転がる――。そんな生活をしていたのは最初の三日間くらいで、その後はわりとアクティブな生活を送っていたと思う。

 

真っ黒な不安に押しつぶされる感覚は、それまでに嫌というほど経験してもはや気にならなかった。

不安や焦り、そういうネガティブな感情は常に隣にいて、嬉しいとか楽しいとかそういう気持ちになると、横目でじっとこちらを見つめてくる。ふーん、そんな余裕あるんだ、そうやって笑う資格、あるんだ。

一番ひどい時期はそんな感じで、楽しみに自ら手を伸ばすことがためらわれていた。なので、休職中に友人に会いに行ったり知らない土地に出かけたりできたのは、それだけこの時期に回復したということなのだろう。今となっては、失敗したり他人に何か言われたりしても、マスクの下で変な顔をしてこんちくしょーと心で叫べば、わりとすっきりするようになった。

あの頃、私は何に怯えていたのか、その記憶は薄れつつある。

 

初めて、家に帰ってから泣くようになったのは9月頃、数年前のもう少し先のことである。4月に異動して、何がなんだがわからない日々が続き……って、この話を何回するつもりなんだ。いい加減にしてくれ、私。

いつから泣くようになったかなんて、そんなことはどうでもいい。ただ、なんで泣いていたのかは思い出せなくなってしまった。なんだっけ、自分にはもう無理だとめそめそしていたんだっけかな。何が無理だったんだろう、業務の量?質?人間関係??私のストレスの素って、結局、何だったのか。

 

職場で、楽な職場は存在するのかという話になった。次の異動の参考に、ストレスの少ない職場ってどこですか、と聞いてみる。極端に大きくも小さくもない規模の職場、ある人はそう答えた。別の人からは、質問が返ってきた。

「そもそも何がストレスなの?」

うーん、先が見通せないことですかね。

まあストレスに感じるものなんて人それぞれだからさ、忙しいのがいい人も暇なのがいい人もどっちもいるしね、なんて続く話を聞きつつ、自分の答えを繰り返してみる。手元にある問題を、最終的にどこへもっていけばいいのかがわかる、それが先を見通せる状態。見通せない状態は、手の中でこねくり回すばかりで、ああでもないこうでもない、じゃあどうすればいいのと途方に暮れること。

かつての職場では、終わった仕事になんだかんだと言う場面はあったけれど、そこに至る工程が正しいのか、もっといいやり方があるんじゃないのか、考え方は合っているのか、そういうことを検討する機会はなかった。自分の処理が合っているのか間違っているのかわからずゴールまで進んで、できあがった結果にダメ出しをされる。それがストレスだった。

 

例えば、かつての私のように、もうだめだーと打ちひしがれている人が現れるとする。ちょっと前の私ならば、その気持ちがわかって、感情に寄り添うような言葉をかけてあげられたかもしれない。しかし、今となっては、気に入らないことがあればマスクの下であっかんベーをするような人間である。そういう繊細な心の動きを感じ取れる自信はないし、なにより、自分が傷ついたことで得た大事な気付きをいろいろ忘れてしまった気がする。

そんなことより、もっと現実的に考えよう。何が気になる、何が引っ掛かっているんだ。その問題を明らかにしてえいやと解決してしまえば、あなたはストレスから解放されるのではないか。

隣の後輩が遅くまで残って仕事をする姿は、かつての自分のようで余計なお世話ながら勝手に心配したりしている。最初は精神論で、追い詰めない方がいいよーとかきちんと休みなねーとか言っていたが、全然状況はよくならない。ので、無理矢理仕事を取ってみることにした。

これは私もできるから!少しは手伝えるから!!効果があったかは知らない。

 

私が覚えておけることなどたかが知れている。一つ覚えれば何か一つ捨てなければならない、その程度のキャパシティだ。そうやって覚えては忘れを繰り返し、時にはかつて忘れたことを再び覚えるかもしれない。とにかく、そうやって私の大事なことリストは刷新されていく。ずっと大事なこともあるし、あるいは、状況によって変わることもあるだろう。

どれが大事なことなのか、その見通しをつけることはきっと簡単ではない。