「いい人」でいたい気持ちはある、けれど

相手には相手の事情があるのはわかるけれど、こっちにはこっちの事情があるんだからその辺のバランスが難しいよねー。世の中、白か黒で割り切れないんだから場合によって使い分ければいいんだろうけれど。

今一番鍛えたいのはバランス力かもしれない。

 

職場で、私の目の前に座っているおじさんのことが苦手だという話は、ブログ内で度々してきた。私はこっちを気にするけれどあなたはそっちの立場に立つんですね、という価値観の違いが、インダス川のように机の間を流れる。つまり、決定的に分かり合えない。

こっちから見る景色があるならあっち側から見る景色だってある、それくらいはわかる年齢になった。でも、理解はするけれど納得はできない……っていうのはガンダムからの引用だけれど、まあそういうこと。

 

あっち側にいる人が大変なのもわかるけれど、こっちにいる私があっちの人の心配までする必要があるのだろうか。余裕があるなら気にしてもいいだろうけれど、それを最優先事項にはしなくていいんじゃないのかな。あくまで自分の都合を優先して、気にできるなら相手のことも考える、そういう順番だって問題ないはずだ。「あなた」のために働いているんじゃなくて、「私」のために仕事をする人もいるんだから。

そりゃあ、あっちだって忙しいのはわかりますよ。でもこっちにだって都合があるし、常に相手を気にできるほど(場合によっては)余裕がない。あっちとかこっちとかわかりにくくて申し訳ない。わざとです。

以前、書類やメールの向こう側には人間がいるという事実を大切にしたい、という旨の話をブログで書いた。それは今も変わらない。変わったのは、相手の事情をそこまで優先しなくてもいいんじゃない?と言うわがままが出てきた点だ。

隣に後輩が座っているんだけれど、彼(女)にアドバイスするとき、おじさんはあっちの立場から助言する。こういう風にするといい、これがあると向こうは助かる。それはとても有益なことだと思う。

ただ、その助言を第三者として聞いていると、「向こう」が仕事をしやすいことに終始していて、彼(女)が仕事をしやすくなる視点がないなあと感じた。後輩はまだいっぱいいっぱいな状況なので、相手のことを考えて仕事をするのは、今はまだ難しいんじゃないかな、それよりできるようになっておくべきことがあるんじゃないのかな、どうでもいいけど。

 

相手との関係性がよければ、仕事上の障害は減るかもしれない(便宜を図ってくれることだってある)。でも、業務上の課題を解決することが仕事の最終的な目的だ。仕事でメリットがあるからよい人間関係を保つのであって、人間関係そのものが仕事ではない。相手のことばっかり考えて、自分のことがおざなりになったら意味がないでしょう。

業務を遂行するために相手のことを優先すべきか自分の事情を通すべきか、という視点がバランス感覚につながっていくのだろうか。相手のことを考えるのも大事だけれど、それと同じくらい自分のことを考えるのだって大事だ。仕事の関係者は時と共に変わっていくが、仕事をするのはずっと「私」である。

 

気遣いの心とか気にして本を読んだ時期もあったけれど、今となってはあほらしい。私は仕事をのためにそういうことを注意していたのではなくて、いい人でいたかっただけなのだ。相手にこうしてもらいたい、となったらそう動くように準備をすればいい。例えば、右に曲がってもらうためにそっちに餌を用意するとか、ゴールは右ですよって看板を立てておくとか(なんて微妙な例えでしょう!)。

結果を想定して逆算すれば、自分がどうするべきかはわかるはずなのに。どうしてほしい、どうしたいっていう目標がないと、安易にビジネス本に飛びついてしまう。今はちょっと違う視点が持てるようになってきて、試行錯誤しながら前に進んだり戻ったりしているところ、かな。

相手の事情を考えることも、自分の都合を押し通すことも仕事ではない。ゴールに辿り着くためにはどの道が一番いいのか、それを考えて進んでいくだけである。などと、知った風な口を利く6月末なのでした。