ありのままで飛んでいけ

仕事のことなのでうやむやに話すけれど、関係する範囲であまり褒められない出来事がニュースで報道されたことがあった。

 不祥事ではないんだけれど、何だろう、事故と言えばいいのか。今風に言えば炎上、なんて言うほど大きなことではないのでせいぜいボヤ騒ぎくらいだったんだけれど、もした。

SNSで好き勝手なことを言われているのを見つけると、やっぱり少々腹が立つ。どこかの誰かが、テレビの限られた情報から勝手なことを言っている。怒ったり気の毒がったりけなしたり励ましたり、余計なお世話だと思ってしまう。これも、私の非常に自分勝手な感想ではあるんだけれど。

「すべてを知っている人」しか感想や意見を述べられないのであれば、大多数の人は何も言うことができない。それが適切でないことはわかっているし、考えを自由に述べるのは私やあなたに認められた権利だということもわかる。

でもやっぱり、うるせーうるせーうるせー!部外者は黙ってろ!になる。

 

 

このブログはあまり細かいことは考えずに書いているが、それでも一応、こう書けば私の言いたいことは大きくずれずに受け取ってもらえるかな、くらいは気にしている。こういうメッセージを伝えたい!という強い思いは特にないので、受け取り方は読んだ人次第で構わない。

かつて外部の媒体に寄稿した時は少し異なっていて、いつもよりは具体的に、こういうメッセージを伝えたいと思って書いた。それがどれくらいの人に、どの程度届いたのかなんてもちろんわからない。ただ、SNSで感想を見る中では、必ずしも伝えたいことは伝わっていなかったし、逆に、そんな大げさな、なんて感想もあったりした。

 

ブログや手紙、会話などで自分の気持ちを相手に伝えることに抵抗がなくなってきた今日この頃。しかし、私が思ったこと、考えたことがそのまま100%の状態で相手に伝わることは、とてつもなく難しい。真逆に取られることも(あんたのことなんて別に好きじゃないんだから)、過小/過大評価されることも(like or love)、考慮しなければならない。そういう難しさを、考えるようになってきた。

伝わるまでの時間とか、私に対する理解度とか、相手のメッセージ吸収率とか、それはもう物理である。過不足なくどうやって相手に伝わるか、抵抗を計算しつつメッセージを発信するのである。あー、私、地学選択だからもうわかんないや!

 

揚げ足を取りたがる人は、重箱の隅を爪楊枝でこするような、粗末なことでもなんやかんやと言ってくる。うるせー!ばか!あほ!とんちんかん!×××の××××!×××××!!

揚げ足は取らなくも、興味がなくて聞いているのかいないのかよくわからない人がいる。そんな世の中で、私の言葉に耳を傾けてくれる人がいるのならば、私の思い(考え)が、大きくも小さくもなく、ずれることもなく、相手に届けられるように頑張ろうと思うのである。頑張る、というのはつまり、うまく伝わらなくてもそこで諦めずに相手と向き合っていくぞ、ということだ。

もうひとつ大事なことは、私があなたのメッセージをきちんと受け止めているかということである。例えば仕事で注意されて、勝手に重く受け止めたり、逆に適当に流したり。相手が伝えたいことを歪めて受け取ってやしないか、と振り返る必要もある。こっちも、なかなか難しい。

言葉やしぐさや表情で、私たちはコミュニケーションを取る。頭で念じたって、相手には何も伝わらない。いや、伝えられる人もいるのかもしれないけれど。それはともかく、伝えることや受け取ることに真摯に向き合うことを忘れて、ああ、誰もわかってくれない!なんて嘆くのはちょっと違うよね。

 

それは個人だけでなく、もっと大きなまとまりでも同じだ。こういう状況です、こういう問題があります。それをきちんと共有できなければ、問題解決のための協力は得られない。うるせー部外者!とイライラするのは、わかってほしい気持ちの裏返しなのだ。どん詰まりでお先真っ暗、あぁ、我が業界を助けてくださる勇者はどこかにいませんか!

こんなに情報があふれているのに、伝わってほしいことなんてだいたい伝わっていない。

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雲の向こうに飛んでいけー