銭湯で見つけた芸術のタネ

たまにスーパー銭湯に行く。休日は早朝の、できるだけ人のいない時間帯に。

自転車で行く距離なので徒歩では少し遠い。道路に氷が張るようになったら、春になるまでスーパー銭湯通いはお休みになるだろう。まだ先の話である。

 

朝が早いので、願った通り人は少ない。去年、深夜バスで東京に行ったときは着いて早々銭湯へ向かったのだが、そちらには若い人がちらほらいた。私と同じ使い方の人もいただろうし、朝風呂が日課の人もいたかもしれない。願った生き方を実現できるのが都会の魅力で、それはうらやましいけれど今から都会に行こうとは思わない。人のいない心地よさに慣れてしまった。

話が逸れている。

人が少ない施設、飲食店やマッサージ屋といったお店はまだまだ開店前で、浴場に続く道だけが明るい。脱衣所のロッカーも選び放題である。もちろん、浴室だって人はまばらで、そのくせ洗い場には誰かのお風呂セットがすでに置いてあったりする。みんなサウナに入っているのだろうか。

サウナと言えば、通っているスーパー銭湯にはサウナが2つあって、片方は「少し温度が低い」と説明されている。初めて利用した時にそのサウナに入ってみたら、息ができないほど、黙って立っていられずうろうろ歩き回るほど暑かった、いや熱かった。あれは絶対に温度設定を間違えていたと思う。

ところで、頑張ってサウナと水風呂の交互浴に挑戦しているのだが、なかなか「ととのう」感覚がつかめずにいる。水風呂が苦手で、腹から下くらいまでしか入っていないからだろうか。でも、冷たさで体の内側がきゅっとなる感覚、心臓止まりそうで怖いんだよな~。

また逸れている。

 

早朝の銭湯は、(他はどうか知らないが)年齢層が非常に高い。みんな思い思いに過ごしている。で、どうやら皆さんサウナに行っているようなので、お風呂はほぼ貸し切り状態だった。

お湯の中で、あーいい気持ち……と思ったところで、浴槽の外にある腰の高さほどの壁、その向こう側から足がぴょんと飛び出した。足で足を掻き始め、それが終わると足を天井に向けて伸ばすような動作をする。たぶん、壁の向こう側には休憩用のベンチか何かがあって、そこに横たわっているご婦人がいるのだろう。ちょっとびっくりした。

ぼこぼこジェット風呂の刺激が心地よい体になってしまった今日この頃、忘れずに体をほぐしに行く。腰のあたりが気持ちいよなあと思っていると、同じ一角にある寝湯スペースに人が来た。おもむろに横になるその人を見つつ、ここ、少し温度が低いから長湯できていいよねえ、とまた自分の体に意識を向ける。

せっかくなのでサウナにも入る。階段状の段差中央部、サウナ室のテレビの前には、やはり横たわる女性がいた。同じ人ではないと思うが、だいたい、サウナに入ると一人は横になっている。横になると効果が高まるのか、単純にリラックスしているだけなのか。しかし、私には横になる度胸はない。

 

人が少ないからだろう、横になってくつろぐ人が多い。横たわる裸婦、と言えば芸術作品のタイトルのようである。なんだか、赤瀬川原平氏の『超芸術トマソン』に通ずる気がして、おもしろくなってきた。超芸術というのは、ええと、役に立たないけれどなぜか残されているもののことで、うんと、そのうちトマソンは、どこにもつながらない階段とか、高い場所にただ設置されているドアとか、珍百景的なものを指す。

実際の美術作品としては成り立たないだろう。しかし、銭湯にはたくさんの「横たわる裸婦」が存在する。お行儀が良いとは言えないが、リラックスするその様子は、こちらの力も抜いてくれる、かもしれない。

銭湯で横たわる裸婦。ちょっと、今後の研究材料にしたいと思います。