他人に優しくするのは、私が楽したいからだという気づき

今年のふるさと納税はどこに申し込もうか考えているのだけれど、気になるのが牧場アイスだ。全国津々浦々、各地の牧場で作っているミルクたっぷりの濃いアイスクリーム。昨日、たまたま食べる機会があったのだが、まあおいしい。

これが冷凍庫いっぱいに詰まっていたらなんて素敵なことだろうか。そんなことを考えている。

 

何がどうしてそこまでこじれたのか、私は知らない。

とある職員が、認定されている通勤手当の経路を逸脱していることがわかった。この件は私の隣の席の若者、つまり後輩が担当なのだが、その対応に苦慮しており、しかもその「とある職員」の言動を離れて聞いていた上司が切れて一悶着起こりそう、というか起こっている。双方の意見を聞き身動きが取れなくなる後輩、頑張れ。

私だったらどうするだろう、そんなことを考えながら三者の話し合いを少し離れて聞いていた。

「とある職員」は、私たちほど給与制度に詳しくない。そりゃそうだ、こっちはそれを仕事にしている事務職員なんだから(私は、配属になっている事業所の総務と経理と+αを担当する事務部門にいる)。だから、きっと「とある職員」には優しくするだろう、厳しく詰めたってしょうがない。そして、できるだけ波風立たないように、穏便に済まそうとする。こっちで処理して、はい終わり。

そんなことを考えていたら、三者会談が解散になっていた。続いて、上司(事務部門のリーダー)と後輩、そして新たに先輩(部門のNo.2)を加えての作戦会議が始まる。「とある職員」の態度にご立腹の上司を前に二回りは小さくなっている後輩、頑張れ。

 

「優しくされてきたんだろ、困ったことがあったら事務方に解決してもらって」苦々しげに上司が言葉を放つ。「それでなんとかなってはいめでたし、じゃないんだよ」 

ああ、耳が痛い。もしも私だったらと想像した頭の中の物語では、「とある職員」に損失がでないように、私がせっせと処理をしていた。こういうことですよね?ね?ね?とルールにぎりぎり沿ったストーリーを作り、そういうことにしてくださいとお願いする私。そして、「とある職員」の機嫌をチラ見しつつ、私はあなたの味方なんですよという態度を取る。

いや、そうじゃないだろということはどこかでわかっている。多少の柔軟性は必要とはいえ、子どもじゃないんだ、こっちが一から十まで面倒を見る必要はない。ルールを破った人の言い訳を、なんでこっちが考えなきゃいけないんだ。でも、楽なのだ。相手にやらせてきちんと書類を作ってもらうよりも自分でやった方が楽。毅然とした態度を取るよりも、へらへら下手に出た方が、楽。

 

相手の負担が軽くなるように、なんてそれっぽい理由もつけられるけれど、私が「とある職員」に優しくするなら、それは私が面倒を避けているからだ。あーあ、頑張らなきゃいけないのは私じゃん。組織の一員として守らなきゃいけないルールがある、っていうことの自覚が足りないなーと思う出来事であった。今までは、帳尻が合えばいいんじゃない?と思っていたし正直それで済んでいたけれど、やっぱりそれじゃまずいよね、という話。

ちなみに、アイスを食べたのは、この件で疲労困憊だった後輩と、別件でわたわたしていた私への先輩からの差し入れであった。結局、私は言われたとおりに動いただけで自力では何もできなくて、ちょっと悔しかったりもする。