大事な話はコーンスープを飲みながら(復職しまして)

スーパーで牛乳パックみたいに売っているやつが大好きで、最近は毎日飲んでいる。

 

別に大した話ではないんだけれど、先週、無事に復職した。休んでいた理由は精神疾患抑うつ状態という診断だった。

8月のお盆休み明けから休み始めて、9月、10月……だからほぼ半年間は休んでいたことになる。服務上は。実際は「復帰訓練」のため11月頃から職場に通い始めており、最初は数時間、徐々に滞在時間を増やして、12月からはフルタイムで出勤していた。その期間はボーナス算定の除外期間に該当する。それがちょっと悲しい。

 

少し流れを説明すると、平成28年4月にとある職場に着任、翌29年6月頃から心療内科に通うことになった。その職場には3年ほどいて、31年4月に現在の職場に異動、そして令和を迎えて初めての夏に休職、となった。通院していたことは、所長と直属の上司には伝えていた。平日に半休取って通院していたからね。

ちなみに、手続きのために診断書を見たら平成28年10月頃発症となっており、前の職場に着任して半年かよ、と脱力した覚えがある。

では、コーンスープ片手に続きをどうぞ。

 

休職する魔法の言葉

令和元年8月×日、薬をもらうための通院とは別に、ちょっと相談したくて病院に向かった。トリガーとなる具体的な出来事があったんだけれど、それは書くことができない。ただ、それ以上に、今までの疲労というか不安というか焦りというか、とにかくそういうものが溜まっていたように思う。

「仕事が怖い」、そう言ったのだけは覚えている。結構インパクトのある言葉だと思うので、何かの時にはぜひ使ってほしい。

自分のやっていることは正しいのか、誰かに迷惑をかけているんじゃないのか、能力がないからここにいるべきではないんじゃないのか。その日、仕事でパソコンの前に向かうと、自分を否定する言葉ばかりが頭に浮かび、うまく物事を考えることができない状態になった。笑ったり、雑談することも、(何もできないくせに)と許されないことのように感じる。さすがにこの状態で仕事は無理だと思い、ちょうど取っていた半休を使って病院に向かった。

さっき書いたようなことを、医師に伝えたかどうかは覚えていない。思っていることを声に出して耳で聞く、というのは内側と外側から同時に言葉を浴びせられているようで、特に今回のようにネガティブな内容は、弱っているときにはしんどい。なので、トリガーとなる出来事があって、ちょっと動揺して、仕事が怖いです、みたいに伝えたのかな。泣いてたと思う。

そうしたら、じゃあ休みますかと言われた。正直、休みたかった、というよりは仕事から逃げたかったのだが、律義に、少し考えさせてくださいと答えた。休職になったら、さすがに親に言わないといけないよな、とぼんやり考えながら帰った気がする。

 

 

久々にドキがムネム

その日の夜。一人暮らしなので、親には電話で伝えるしかない。なんて言おうと考えながら、しばらーーくスマホの画面を見つめていた。

こう言って、こう反応したらこう返してとシュミレーションしていると、たまたま母から電話がきた。どきどき。他愛もない話をして通話が切れそうになったので、今だと意を決し、「実は心療内科に通っていて、休職することになりそうです」と伝えた。

だってさ、この間のお盆休みにはへらへらごろごろしていた娘が、急に休職とか言い出すんだぜ、びっくりだろ。と思ったら、母はあっさりしていた。今時そういうの多いんでしょ、別にいいんじゃない。

心療内科に通っていたことは、家族には黙っていた。特に話す必要もなかったし、話すきっかけもないし、というか、話したくなかったし。なので、初めて通院していることも言ったはずなのだが、母は何か勘違いしているらしく、「あー、前言ってた病院でしょ」と納得していた。何の話だろう。とにかく、そのおかげで話はすんなり進んだのだけれど。

私としては、職場に話すよりも家族に話すほうが緊張した。いや、職場もそれなりに緊張したか。

 

どうするどうなる私の仕事

通院して親に電話し、次の日。再び病院に行き、休職したい旨を伝えると、とりあえず一ヵ月期間を取って、もし戻れるようであれば前倒しして職場に戻りましょう、ということになった。思い出したけれど、最初は一週間?二週間くらいかな??と思っていて、え!一ヵ月!!とびっくりしたんだよな、それがいつの間にやら半年……。

この日は仕事を一日休んでいたので、終業時間後に電話した。いや、やっぱりこちらもシュミレーションしていて、そうしたら時間になってしまっただけの話。上司に代わってもらって、「ちょっと休んだ方がいいと言われまして」と切り出した。え、と相手は変な声を出していたが、とりあえず、明日来れる?と言われたので翌日職場に行くことに。

私は前の職場で大ダメージだったので、現職場には普通に行けるのだけれど、現職場でダメージの人はやり取りがいろいろ大変ですね。

翌日、診断書をもって職場へ。9時半くらいについて所属長や上司と軽く面談し、仕事の引継ぎをして12時に終了。まずは同僚(というか先輩)に、ここにこのデータがあります、毎月こういう報告があります、としゃべり倒す。初任の頃には皆がやっていた仕事なのでわかるのはわかるのだろうけれど、もう忘れているだろうし、システムが変わっているしで申し訳なかった。

引き続き、上司と。休職前、少し仕事が溜まっていたのだが、上司はいいからいいからと請け負ってくれた。ただただ有難い。で、よろしくお願いしますを言って職場を後にする。家に着いたら申し訳なさとか情けなさとかで涙が出た。

どんな仕事だって、誰かがいなくてもだいたいなんとかなる。誰だっていつ病気になり事故に遭うかわからないのだから、休まざるを得ない状況になることだってあるのだ。そうなったら、その人なしで仕事をしなければならないわけで、「〇〇さんがいないと仕事が回らないよー」なんて言ってられないのだ、いないんだから。

いなければいないなりにいる人でどうにかする、それが仕事だろう。知ったような口を利くけど。

私は周りが先輩だったので、できないという恐れはなかった。いや、本当は私としては不安が少しあったけれど、振り返ってみれば特に何事もなかったようだ。もちろん、一人分の仕事を数人で分けるのだから量的には大変だったと思うが、質的には難しい仕事ではないしね。

というか、先輩がやった方がスムーズだったので、私の立場が危うい。しっかりせねば。

 

生きててよかった、とは思わないけれど

休職中、何をしていたかと言われれば何も思い出せない。大した毎日を送っていなかったみたい。

最初の一週間はほぼ寝ていた。次の一週間は実家に帰った。その後は友達に会いに東京に行ったりフェリーに乗りたくて札幌に行ったりした。その辺は別に書いているので探してみてね。

精神疾患で休職しているからって、家でしおらしくしている必要はない、と思う。私の場合、家で黙っていると嫌なことがどんどん思い浮かぶので、積極的に外に出るようにした。川沿いを自転車で走ってみたり、普段乗らないバスに乗ってみたり。知らないものを見るのが好きなので、気分転換になった。それも回復のためには必要だったと思う。あ、望遠鏡はのぞき込んでないです。

あとは本を読んだりしたのかな、記憶ないけれど。あくまで休むことが目的なので、あとで振り返って「これができた!!」というものはなくていいのだ。それでいいのだ。

困ったのは、自意識過剰なんだけれど、例えば昼食とか何かがちょっと必要になったとき、平日昼間にどこで買い物をするか。近所のコンビニとかスーパーは顔を覚えられている気がするし。ちょっと離れた駅で買い物をしていたら、通っている歯医者の先生がベビーカー押していて声をかけられてしまった……。

 

数年前までは楽しみだった漫画の続きも、今はすっかり興味がなくなった。それは年月のせい、かもしれない。ただ、これを楽しみに明日も頑張ろう!という感覚が薄れていたのは、休職して初めて自覚した。私なんかが楽しんだり喜んだりしていいのか、という今思えば謎の考えに、ここ数年は支配されていた気がする。

それは、ためを息つかれたりバカにされたりいちゃもんつけられたり、「私が悪い」と第三者によって自覚させられることが多かったせいかもしれない。その辺はまた別の機会に……書くかな?? 今もまだ、私なんかがと思う部分は残っているけれど。

夜寝るのもごはんを食べるのもすべて仕事のためだったのが、自分が生きるためにシフトしてきている、と言えばいいのかな。服を買うのも仕事のため、本を読むのも仕事で生かすため、の仕事一辺倒だったのが、休日に着たいなーとか、仕事には関係ないけれど(ブログ用に)考えを深めたいなーとか、幅が広がってきた。

こう考えると、結構追い詰められていたというか、視野がせまくなっていたなあ。

 

復職訓練からの面接からの復帰

そうやって日々に潤いが戻ってきたのもつかの間(?)、職場から「顔出してみない?^^」メールが来る。まあ、言われないとこっちとしてもいつまで休んでいていいのかわからないし。これが10月末~11月頃の話。休職期間、最初は一ヵ月だったけれど、私の具合がいまいちパッとしないので、~11月✕日まで、通算三ヵ月となっていた。戻れる気がするのが半分、不安が半分です、と伝えたらじゃあもう少し様子を見ましょうと先生に言われる。

話は過去に戻って通院を始めた頃、先生に聞いたことがある。「私、病院に通うほどの具合なんですか?」。言われたのは、こっちもプロだから、患者の訴えだけでなく、診察室に入ってきたときの様子からその人がどういう状況なのかはわかる、ということだった。休職中、あっちに行ったりこっちに行ったりふらふらしていたので、「ずる休みなんじゃ……」と思う都度、その言葉を信じていた。

再び話は戻って、11月頃から職場に顔を出すようになり、ちょっとずつ仕事をするようになった。もちろん、緊張したけれど、案ずるより産むが易し、行ってみればたいしたことはない。

最初は書類や物を整理したり、次第に書類をちょこちょこ作ったり、報告用の資料をまとめたり。ときどき疲れてしまって、翌日に休んでしまうこともあった。ある程度の緊張感をもって仕事をするのも久しぶりだったし、なにより、職場に行くとストレスの元となっている過去の出来事を思い出してしまい、それが負担になっていたように思う。

それでも、3時間勤務、5時間勤務……と伸ばしていき、2、3週間程度で8時間勤務にまで戻った。そろそろ12月。

ここで問題が。復職するときに産業医との面談が必要なんだけれど、その調整に結構時間がかかるらしい。1月初めに復職するには、もうこの時点で診断書を出しておかなければならなかった。

8時間勤務にまで戻ってとはいえ、まだ日数は数日ほど。通常勤務に戻れるという実績が足りないんじゃないか、と病院の先生に言われ、確かにこれでうまく復帰できなかったら嫌だなーと思い、もう少し様子を見ることにした。

会社は会社の、他人は他人の都合で動く。それはいいとか悪いとかではなく、ただそういうものだと割り切るしかない。自分を一番気遣ってくれる人は自分でありたいし、だからこそ、自分では気づかない部分に気づいて、フォローしてくれる「他人」がいたら、その人のことは大事にしないといけない。

 

1月末に照準を合わせ、復帰の準備をした。そこからはずっと8時間勤務。結局、産業医の都合がつかず面談が遅れ、2月半ばの復帰に至る。

誰も休職しようと思って就職しない(だろう)。でも、場合によっては休職しなければならない時だってある。した方がいいということもある。休職することで失われるものは、確かに存在するだろうが、今休んで未来で挽回するという選択だって可能じゃないだろうか。

休職とは言わなくても、必要な人は必要な時に必要に応じて休めるよう、自分のことを大事にしてほしい。みなさま、コーンスープで体をあたためて、ご自愛ください。

 

今週のお題「大切な人へ」