2023ブログ所信表明、そして言い訳

去年よりもう少し前からなんだけれど、ブログに書くことが思いつかない。

 

書きたいこともないし、書いておこうかなってことも特にない。無理やりに書き続けてこうしてブログは残っているが、それは続いた結果ではなく、終わりを迎えていないから存在している、というだけである。順番的には逆、みたいな。

始めた頃は書きたいことがたくさんあった、というか書きたいことがあったからブログを始めた。そうして、書き尽くしてしまったのかもしれない。

 

何が書きたかったのだろうと思い返せば、その当時、私は仕事について悩み、そして傷ついていた。その傷を癒すための言葉を見つけてはあーだこーだとこねくり回し、自分なりに解釈して、その記録としてブログに残していたのだった。

そうだ、私は傷ついた経験ではなく、そこから何を感じ、考えたのかを書きたかったのだ。失ったり無くしたり離れたり出くわしたり生じたり。多かれ少なかれ、さらには大小あれど、傷つくことは誰にでもあり、例えば私は傷ついたその時に「言いたいこと」が生まれたのだった。

そこに思い至ったのは残念ながら自分の力ではなく、とある本を読んでそんなことが記されていたからなのだけれど。

 

購入品紹介だとかやりたいことリストだとか、読むのは好きだが自分が書くとなるとそこまで楽しくない。何時に起きて何を食べてどうしたという本当の日記も、やはり好んで読むがそれを書きたいのかと言われるとそうではない。自分が読んで楽しいものと、自分が書きたいと思っているものが少々ずれているのも、ブログがうまく書けない原因だったのかもしれない。

私が読んでいるブログは立派なブログばかりで、そういう文章を読むと自分の書く言葉のつまらなさに情けなくなる。けれど、自分はなんのために、誰のためにブログを書いているんだっけと考え直せば、あの日、転んで痛い痛いと泣いていた自分自身のためなのだ。その傷を癒し治せるような言葉が見つかるまで、考えることを、探したり立ち止まったりすることを諦めなければいいなと思う。

 

ところで、喉元過ぎればなんとやら、今となっては何をそこまで思い悩んでいたのか具体的に思い出せない。私を癒してくれたのは、結局のところ時間だったのではないだろうか。それはつまり、私は私自身の知恵で時間という概念に勝たねばならないということである。

それは無理だろと思いつつ、今年もよろしくお願いいたします。

そうそう、今年の目標は空芯菜を食べるです。昨年は金木犀の香りを嗅ぐにしていて、見事達成しました。思っていたよりトイレでした。

※ちゃっかり火・土曜日22:00更新なんて書いていますが、これは週2回更新するということではなく更新するならこの日だよという目安だという弁明ですこういうの書いておかないとほんとに辞めそうだし

 

散歩途中にレモネード買って楽しくなった

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと