12/9晴れ、落ち込む権利、へこむ自由

月曜日の夜はうとうとして気づいたら朝になっていたし、今朝は起きるべき時間を15分寝過ごした。疲れているのか、布団が気持ち良すぎるのか、とりあえず今日は定時で帰ってきた。はやく寝よう。

しかし、そういう日に限って何か書いてみたくなってしまい、まとまるかわからないけれど、パソコンを立ち上げてみる。

 

具体的に何かがあったわけではないけれど、落ち込んでいるというか、暗い気持ちになっているというか、なんとなくもやもやする。家にいるときはそうでもないんだけれど、職場に行くとなんだか息苦しい。年末に向けて片付けたくて、でもうまくいかないもどかしさだったりイライラだったり、慣れてきたからこそにじみ出てきた人間関係の煩わしさだったり。

どうでもいいことがやたらと印象的で、例えば声のトーンがいつもと違うことに、まずかったかな、変だったかなとドキドキする。少し強い気がする語尾に、責められている気配を感じる。大したことではない、はずなのに。あっかんベーをしようにも、舌を出す力が出ない。

仕事中、いつにもまして頭は回らず、電卓をたたいては生活費の計算をして時間を潰していた。頭の中では、いつか見た子猫の動画が延々と繰り返し流れている。仕事をする気はあるものの、頭と体がついていかない。別に、何があったわけでもないがとても疲れている。

泣きたいような気持ちになって、でも家に着いても涙は出なかった。それでよかったと思う。

 

根っからのあまのじゃくでおへその位置も90度曲がっているので、こうしましょうと言われるとまずは嫌だと言ってしまう。くよくよするな、切り替えようぜと思えば思うほど、思考は底なし沼にはまっていき、どんどん霧が立ち込めていく。我ながら面倒くさい性格だ。

趣味は落ち込むこと、特技は後ろ向きな考え方、そうやって何度悩んでも、飽きずにまた落ち込んで後ろを向く。いいじゃないか、たまには、そういう日があったって。世の中明るくて元気で前向きで、生きる活力に満ちた人ばかりではない。真っ暗な部屋で一人体育座りするその権利を、誰にも奪われたくはない。そういうふうに、強気で落ち込めるようになった分、私は成長している。

 低空飛行で落ちるかどうかのすれすれを、あるいはもう落ちているのかもしれないけれど、なんとか生きているような気がする。ダメだったら仕事を休もう、それだけのことだ。