3/16雪、一年ぶりの3月11日のことなど

1年ぶりにまた会って、出会いを数えるのはこれで9回目か。

 

今年の3月11日は前日が大雨で、いつもは底が見えるような川がにごっていた。病院に行くために乗った、大きな駅に向かうバスの窓からそんな風景をぼんやり眺める。9年後の自分が、目がしょぼしょぼ体はバキバキになるさまを、あの頃の私は想像できただろうか。いや、そもそも仕事に就くということ自体が信じられないかもしれない。

病院は午後からだった。待合室に流れるワイドショーを見ながら、新型の肺炎で世の中がてんやわんやになるなど、あの頃の私は考えもしなかったなあとしみじみする。いや、誰も想像してなかったよね、新型肺炎が流行るとトイレットペーパーが買えなくなるなんて。桶屋もびっくり。

そんなことを考えつつ、なんだかそわそわしてきてしまった。14時46分、その時刻に自分は何をしているだろうか。その場で黙とうするなり別にいつも通り過ごすなり、好きにすればいいんだけれど、だから要は、どうするかが決まっていないからそわそわしているのだ。

 

思ったよりはやく病院が終わり薬ももらえた。まだ「その時間」までいくらかある。流れに任せようと思って、その辺をぶらぶらすることにした。次に時計を見た時が「その時間」だったら黙とうをささげ、もし過ぎてしまっていたら今日は黙とうをしない久しぶりの11日にしよう。それはささやかな反抗かもしれない。自分の意思ではなく、周りがしているから黙とうをささげる、どっちつかずな自分に対しての。

 

ぶらぶら歩き、さっきはバスの中から眺めた川にかかる橋に着いた。さっきよりも水が増し、川沿いの草むらも水浸しになっている。その変化は、少しずつ、でも確実に時間が動いていることを示す。

そうだと思い出し、時計を見る。2分ほど過ぎていた。けれども、結局その場で目を閉じてしまった。なんだ、やんのかい。やらなければ気が済まないのは東北人だからか、あるいは、思うところがあるのか。いや、別に何を思ったわけでもないけれど、それでも、やらなければそれはそれで落ち着かなかった。