1/12くもりときどき晴れ、かつての友人に助けられたみたい

母が私のいる街に遊びに来た。いくつかお店に行き、何を買うでもなくぶらぶら見て回りながらあーだこーだと感想を言う。洋服屋さんで、セール品を買うなら春物のほうがいいんじゃない?なんてしゃべっていると、あらー!!と声を掛けられた。

 

小中学校と仲が良かった友達の、お母さんだった。最後に会ったのはいつだったか、覚えていないが5年は前だった気がする。やだー久しぶりなどと母親同士がはしゃいでいると、試着室から誰ー?と声が聞こえる。騒がしいのに気づいた、友人の声だった。

出てきた友人とあいさつをする。わー久しぶりじゃん、なんでこの間の同窓会来なかったのー、と言われ、返答に困っていると友人のお母さんが、あんたがうるさいからだよと言ってくれた。変わっていない。彼女は相変わらず人懐っこい笑顔で賑やかに騒ぎ、私はその迫力に圧倒されながら、ぽつぽつと言葉を発する。友人と会ったのも5年くらい前だったかな、でもこの感じは、小学校の頃から同じだ。

3月くらいに○○ちゃんも来るから一緒に会おうよー、と言われ、うん、連絡ちょうだいと答える。彼女は結婚して子どもがいてすっかりお母さんなのに、私だってまあいろいろあったのに、そんなことは関係なく、ただ「小中学校の友人」として話せたことが嬉しかった。

 

今の私を知らない人の存在が、こんなにも嬉しいなんて。

生きていればいろいろある、なんてちょっと風呂敷を広げすぎかもしれないけれど、多かれ少なかれいろいろある。他人と共有したくないし私自身もさっさと忘れてしまいたい、みっともないことやはずかしいことだってある。彼女と話しているとタイムスリップしたみたいで、今の生活で起こった嫌なことを、都合よく忘れられそうだと感じた。

もちろん、共有することでストレス解消になることもある。今の状況を知っていて、抱えている悩みを一緒に考えてくれる友人はいる。けれども、小中学校時代の、久しぶりに会った彼女は今の私を知らないのだ。だったら、いやなことをわざわざ話す必要はないし、話したいことだけ話せばいい。背負っている荷物を見せるのではなく、そもそも、持って行かなくていい相手、そういう関係の人がいることに初めて気がついた。

 

私は、友人はそんなに多くない。

毎年会っているのなんて3人か4人くらいだ。それ以外は「友人」のカテゴリにいるけれど、特に連絡を取っていない相手なので、もしかしたら私のことなんて忘れているかもしれない。今回会った彼女だって、全然連絡を取っていなくて、もしかしたらそのまま一生会わないかもしれないような相手だった。同窓会もまあいいかと欠席したのに。それが、会ってみればまた会ってたわいもない話をしたいと思ったし、さっき書いたみたいになんだか嬉しいとまで感じてしまった。

友人は大事にした方がいいんだろうな、なんて考えてしまう。久しぶりに会って、でもこうやって受け入れてくれる、そういう人が「友人」でいてくれたことはラッキーでしかない。自分の人生、自分じゃ思い通りにならないことが本当に多いね。

 

 

特に理由はないけれど、スターを外した。

嘘、理由はある。スターの数ばかり気にしてバカみたいだったので、気になるなら取っちゃえと思ったのだ。何も考えず、閲覧数だけで「わーい読まれてるー」と判断するのも、気楽でいいですよ。