私は「今」しか知りえない

平成から令和になるにあたり、それぞれの平成史を披露してくれる方が、はてなブログに限らず様々なメディアにいました。

私もその一人です。

みんなそれぞれに山あり谷ありだったんだなーと、興味深く拝読した次第です。

 

いろいろ読みながら考えたのは、私はその人の「今」しか知ることができない、ということです。

 

今更ながらツイッターを始めました。

今のところ、情報発信のためというよりは情報収集が中心です。気になっていた人、憧れていた人、同じ趣味を持つ人……彼/彼女らが発信する様々な言葉が、手元に入ってくるようになりました。入ってきすぎて、最近、頭痛がします。速い縦スクロールに不慣れなため、車に酔っているのに近い状態なのかも。三半規管が弱いのか、前時代的なのか。

 

それはともかく、目を引くのは、同世代の発言や態度です。会社や社会全体に対してきちんと自分の意見を持っている。大量の本を読み、常に学習を続けてアップデートし続ける人。このことならこの人!と言われるような専門性を獲得していて、メディアに記事を寄稿したりしている。すごいなあ。

もちろん、世代に関係なく、すてきな文章を書いたり、独自の意見を持っている方がたくさんいます。そういう方のブログなりツイートなりコラムやエッセイなりを見るにつけ、どうしたらこういう風になれるのだろう、そう考えていました。けれども、やはり気になるのは同世代です。同じくらいの時間を生きてきた中で、どうしてこうも差が出てしまうのか。

 

もちろん、才能の差はあるかもしれません。彼/彼女はもともと文章を書くのがうまかったり、頭が切れる人だったり。しかし、すべてを才能のせいに、自分ではどうしようもない部分のせいにしていては、話が進みません。

 

結論としては、ありきたりですが努力の差、だと思います。

私が知りうるのは、その人の、今の発言だけです。それはブログだったりツイッターだったり、いろいろな媒体で知ることができます。ただし、そこに至るまでの道のりまでは知ることができません。その一言が生まれるまでにどれだけの経験があり、学びがあったのか、その点については、ただただ想像するだけです。

今は涼しい顔をしながら(それすらも、ネット上ではわかりえませんが)、発言しているけれども、ときに険しい顔で、ときに情けない顔で、あるいは苦しい、悔しい、悲しい、そういったネガティブな感情を、その顔に刻んできたのかもしれない。これも私の想像でしかありませんが、少なくとも、私が知った「平成史」では、それぞれに抱える苦しさがあったように思います。

 

テレビで華やかに活躍している人だって、よく「下積みがあって今がある」と言いますもんね。

 華やかに活躍する同世代を見て、うらやましいとかいいなーとか、そう思ってしまうのは仕方がないことです。そこで、「華やか」ではない自分を向いていないんだと決めつけてしまうのはが、間違いというか、もったいない行為だと思います。私が知ることができるのは今だけであり、未来はもちろん、過去だって本人以外は正確には知りえないのではないでしょうか。

 

そういう風に心にとめておけば、「今」に対して、あるいはその人に対して、真摯に向き合えると思うのです。