11/19くもり、ということで明日は運命の日

仕事が終わって外に出たら空気が生暖かくて、ガスってんのかと周りを見渡した。きれいな三日月が輝いているところを見ると、そうではなくて単純に暖かいらしい。そういえば、天気予報で気温が高くなると言っていたが、まさかここまでとは。

コート脱いでも大丈夫では??と思ったがそれはやっぱり少々寒い。

 

2020年のまとめをするにはまだ早いけれど、今のままでいくと、結局はコロナイヤーということで締めくくられそうである。オリンピックイヤーからのコロナイヤー、世界のどこかにいる(いた)予言者たちはこの出来事を視ていたのだろうか。視えていたのなら教えてくれよと言いたいが、言われたところでどうすることもできないし、それがわかっていて予言者は黙っていたのかもしれない。視えるのは変えられない未来のみ、予言者という立場もなかなかにつらい。

 

記憶が正しければ、今年は県外に一歩も出ていない。もっと言えば、実家に帰るときくらいしか住んでいる街の外に出ていない。毎日毎日職場と自宅の往復、たまに電車に乗って隣駅へ行く生活(田舎だから、市内に駅が縦の並びで6つか7つくらいある)。あぁ、情報量が多い都市部に行きたい、脳みそへの刺激が足りなくて、ただでさえシワが少ないのにいよいよつるつるになりそうだ。

そういえば、脳みそのシワが多い方が賢いと子どもの時に習ったけれど、それって今も通用するネタなのだろうか。科学的に正しくないとかで、最近の若者は知らない話なのだろうか。

 

正直に言う。テレビやらなんやらで「GoToなんちゃらでぉ得に旅行してきたょ☆彡」等と言われるとうらやましい5%、は?このご時世になにしてくれてんの??的いちゃもん120%である。いいな、ずるい、うらやましい。最近は特に、嫉み妬みからくるなんとも醜い感情を抱いているのを強く自覚する。

自分は我慢していることを、誰かが楽しそうにやっている。だからうらやましくてずるい。じゃあ我慢しないであなたもやれば、という話になるのは正しい気もするしそういう問題じゃない気もする。一概に、旅行は大丈夫です/危険ですと言えないから、結局は個人の判断に委ねられてしまう。国でも誰でもいいけれど、とにかく、誰かがいい・悪いを判断してくれれば一番楽なのだが、それに頼ってしまうのは思考停止で、漠然とよくない気がする。

ありきたりな答えだけれど、自分で決めるということが納得して判断する方法なんだろうなと思う。「誰かがこう言ったから自分はこうする」だと、自分の考えと行動が一致しない場合もある。これなら大丈夫だと思ったので旅行に行く、不安があるので行かない、納得して決められれば、ほかの人がどうしようと気にならないんだろうな。私にはまだまだ難しいことである。

 

先日、ちょいちょいのぞく花屋さんに、かわいい観葉植物が売られていた。しかもセール中。あーんと思いつつその日は見るだけにしたけれど、ここ数日間、彼のことが頭から離れない。あーん、どうしよう……と昨日の夜、部屋の模様替えをし、彼を置くスペースを作る自分がいた。結局、心は決まっている。まだ残っているかわからないけれど、もしいたらそれが運の尽きということで、明日は定時でお店に直行したい。