10/9晴れ、コンビニ弁当でも世界は一変する

心と体と頭はまだ秋の入り口に立っているつもりなのに、街路樹ががっちり色づいて、その葉がひらひら道路を埋めていく。どうやら、入り口どころか真ん中を過ぎてしまったようだ。予報では最低気温が0度になる日も近く、もうてんやわんやである。

なにが、ということではないんだけれど。

 

散々な一週間だった。こちらも別に、なんだということはないんだけれども。

とにかく、大したこともしていないのに仕事から疲れて帰ってきては、その辺に寝っ転がり目を覚ますと夜中になっている生活を送った。先週もそんな感じだったけれど、今週も同じだった。なんだ一体。なんでそんなに疲れているんだ。

 転機は木曜日。じゃがいもとクリームで煮たやつでも作ろうと意気込んで買ったタラを放置して、晩ご飯はコンビニ弁当にしようと決めた。よくよく考えると、土日も含めてコンビニ弁当は久しぶりである。……と書いて、チェーンの弁当店は行ったか、と思い出した。まあ、それはいい。

チルド弁当とおやつを買って帰宅。レンチン3分半の間に着替えを済ませ、いそいそと食卓につく。特別おいしくもなく特段まずくもない食べ物だなあと思いながら、中身を口に運んだ。全国共通のその味に魅力を感じなくなったのは、日頃からおいしいものを食べているせいだろうか。そんな心当たりはまっっったくないけれど。食べ終われば、容器をちょちょいと水で流し、後は捨てるだけである。作る時間と片付ける時間を省略できた。

特にすることはないので、湯船にお湯を張って、ゆっくりつかることにする。お風呂上がり、泥パックもしてやった。なんだか今日はやけに時間が余っている。ついでに、実家に電話をかけてみた。

 

前日と違うことはただ一つ、コンビニ弁当を夕飯にしたことだけだ。それだけなのに、倒れるように、いや半分は倒れて眠っていたのが、布団をかぶってゆっくり眠ることができるようになった。なんだか不思議な気分だ。本当に、500円もしないお弁当のおかげで、こんなに変わってしまったのだろうか。

そうなのかもしれないし、たまたまかもしれない。

けれど、生活というのはちょっとしたエッセンスを加えるだけで、大きく変わってしまうのかもしれない。入れすぎるとよくないのは、食紅みたいなイメージだ。

明日は待ちに待った土曜日。いつもと同じ土曜日にしようか、はたまた、違う道を歩いてみようか。