パッションフルーツが終わる

ブログの更新ペースを週2回くらいで固定化できたらいいな。

誰に向かって書いているわけではなく、ただ書くという行為をしたいからしているだけなのだけれど、流れに任せていたら全然書かなくなってしまった。それじゃあわざわざ書く機会を設けた意味がないじゃん、ということでできればブログを習慣化したい。書くのは楽しい。内容も、自分としては満足している。

 

 

毎年、遠く離れた友人から夏の後半にパッションフルーツが送られてくる。

小さな箱に10個ほど入っていて、外の包装をとれば、まだ箱に入ったままだというのに部屋中にトロピカルな香りが充満する。今年もこの季節か、と思い、私のことを忘れていなかったんだなととも思う。ありがたい。そして、お返しに困る。そんなにしゃれた特産物ないんだよ、相手は毎年パッションフルーツなんだけれど、こちらはいつも違うものを送っている。これだという自信がないみたいで、カッコ悪い。

 

この友人は、私のことを優しいと言ってくれる。大学で知り合って、学生時代は随分と仲良くさせてもらった。

何かの時に、先に用事が終わった私が、彼女のことを待っていたそうで、それがいたく印象的だったようだ。そんなことあったかしら。いや、実はうっすらと覚えているような気がしなくもないんだけれど、そんな状況だったかしら。私、待っていたかしら。

どうせ、一人でいるのが嫌だからとかそんな理由で、彼女を待っていたのだ。自分本位な理由だろうから、彼女がありがたがる必要はない。

でも、たとえ勘違いであっても、彼女と仲良くできてよかった。正直、パッションフルーツのことなんて、知っていても知らなくても私の人生は変わらなかっただろう。けれども、今となっては私にいろいろなことを思い出させてくれる、大事な存在だ。この果物の甘酸っぱい香りは、彼女のことを、彼女と同じくらい大事な友人を、そしてかつて夢を追いかけていた自分を思い出させる。

あの頃の自信は、本当にどこに行ってしまったのだろう。何とかなると思っていたあの頃のパワーが、本当に懐かしい。……まだ若いつもりなんだけれど、考えが随分年寄りっぽくなってしまったな、反省。

 

冷蔵庫に入っているパッションフルーツは残り2つ。最初に届いたときはどうやって食べるのか戸惑ったこの果物にも、最近では随分と慣れた。果物が入った箱が冷蔵庫の一区間を占領していたころが懐かしい。ぽっかり空いたそのスペースに、次は何を入れようか。

いろいろなことが少しずつ変わっていく。ここにいたいと思っても、いつまでも閉じこもっているわけにはいかない。その逆も同じ。いたくなくても、時が来るまでいなければならないこともある。個人の想いなんて、社会の大きな波の前には無力なのだ。なんてね。

 

さあ、次の季節が来る。