明日に備えてもう寝ます

もにょもにょ している ▼

後姿を見つめるな

次こそは、今度こそはと何度もチャンスを逃した結果、次の機会が永遠に失われてしまったということが、誰にでも一度くらいあるだろう。

例えば、期間限定のお菓子を買い損ねたとか、気になっていたお店がいつの間にか閉店してしまったとか、学生のうちにと思っていたら学生時代が終わってしまったとか。

いつかあいさつに行こうと思っていた人が、いつの間にか亡くなっていたりとか。

 

私が年を取るということは、みんなも年を取るということなんだ。もうあんな後悔はしたくない。

 

 

昔から、相談するということが苦手だった。自分の弱点をさらけ出すようで素直になれず、いつでも誰にでも警戒心丸出しの私は、よほどのことがない限り「相談する」という選択肢を思いつきもしなかった。勉強もプライベートも受験も就職も、伸ばされる手を掴むことはあっても、自分から手を伸ばすことはほとんどなかったように思う。

それでも二十数年の人生が何とかなってきたことは幸運だと言えるし、あるいは不運だったのかもしれない。追い詰められるまで、相談することの重要性を知ることができなかったのだから。

 

高校で美術部だった時の顧問は、よく手を差し伸ばしてくれた。ああでもないこうでもないと、作品のことだったり展示のことだったり人間関係のことでもくもく悩んでいると、圧倒的な経験と知識と技術で助けてくれた。その反面、教育実習でお世話になったときはぼろくそに怒られ教師に向いていないと言われ(それは嫌というほど自覚していた)、実習日誌を点検していた教務の先生からは今時珍しい師弟関係だね、とにこにこ茶化された。そんな関係だった。

その顧問が、気付いたら亡くなっていた。

学生として東京に出て就職のため東北に戻ってきて、距離的に実家にも帰りやすくなった。顧問はまだ非常勤講師として母校にいるらしいし、アトリエの場所も知っていたし、まあいつか、そうだな、もっと一人前に仕事ができるようになったら、胸を張ってあいさつに行こう、そしてこんなに立派になりましたと自慢してやろう。それを目標の一つにして働いていたのに、そうか、亡くなったのか。

葬儀には間に合って参列できた。ニコニコ笑っている顧問の白黒の写真を見て、私は大泣きしてしまった。伝えたいことはたくさんあったのに、聞きたいこともたくさんあったのに。もうお話しできないんだな。病気が見つかって入院してから数ヵ月のことだったようだが、いつもその瞬間にエネルギーのすべてを費やすような人だったから、らしいと言えばらしい。

 

その、葬儀のあった年が明けて4月に異動で職場が変わったのだが、ブログで何度か書いている通り、ここで私は病院のお世話になる。それくらい、私にとっては激務だったわけだが、この職場で出会った人はみな本当に尊敬できる人ばかりだ。

とある上司には、本当にお世話になった。クリームパンを半分くれたし、カレーをタッパーに詰めて持たせてくれたし、ゆべしを一緒に食べたし……って、食べ物の話しかしていないが、そうじゃない。歩く音はうるさいし、好みは細かいし、ぶつくさ独り言が多いし、挙げたらキリがないが、細かい気遣いができて、職場全体をよく見ていて、いやな仕事は請け負ってくれて、誰にでも手を差し伸ばしてくれる、こちらも挙げだしたらキリがないほど素晴らしい人だ。

そんな素晴らしい人だからこそああいう風に仕事ができるようになりたいと尊敬できたし、人として大好きだった。大好きだったから、ただでさえ忙しい上司の手を煩わせたくないと、余計なことを言わないでいた。少し仕事が立て込んでいても夜遅くまで頑張った。情緒不安定になり泣きながら家に帰るようなことが続いても、黙っていた。

 

本当は黙っていたくて黙っていたわけではない。話したくても、どう切り出したらいいか、タイミングはいつか、なんて説明したらいいか、わからなかった。グーグルで「上司 相談 どうやって」なんて検索して、どうしようとぐるぐる考えて、答えが出ないから話すという選択をやめる。だって、急に話があるなんて言われたら、きっと迷惑だ。いや、何度か話があると持ち掛けたこともあるけれど、やっぱり直前になるとどうしていいかわからなくて、解決しましたえへへ、みたいなことを言って逃れていた。

その上司が異動する3月、私が異動してきて1年が経とうというときに、私はこらえ切れなくなる。仕事は滞ってしまったし、一日だけではあるが職場にも行けなくなってしまう。年度末の忙しい時期、しかも自分は異動を控えているというのに、その上司は夜遅くまで仕事を手伝ってくれた。やはり良くしてくれている先輩は「頑張っている子を放っておけないんだよ」と言ってくれたけれど、それまでの信頼とか期待とか全部棒に振ってしまったようで、情けなくて申し訳なくてやっぱり涙が出た。

 

こんなことならもっとはやく相談しておけばよかった。ほら、ホウレンソウって言うじゃないか。

 

私は本当に弱みを見せるのが嫌らしく、相談することで「そんなこともわからないのか」「できないやつだな」「忙しいのに、面倒くさい」と一ミリでも思われてしまうのが本当に怖かった。その呪いが解けるのは、病院に通うようになってからだったか。

お医者様に言われたのは、相談すれば確かに負担にはなるかもしれないけれど、それがイコール迷惑だとか嫌だとかだめだとか、そういう気持ちにつながるわけではない、ということだ。

そもそも、相談したからどうのこうの言うような、そんな人ではなかったはずだと今では思う。

 

その上司が職場を離れるとき、やっぱり私はビービー泣いていて、ろくに挨拶もできなかった。そして今年の3月、私も職場を離れるときが来た。

たまにその元上司が職場に遊びに来ても、私の中に勝手なわだかまりができてしまって声をかける勇気がなかったし、目を合わせるにもどんな表情をしたらいいのかわからなくてできなかった。恋する乙女か。しかし、かなり大きい異動になった私は、もうその元上司に(もっと言えば元職場のみんなに)会うことはないかもしれない。いつかまた、と思っていてもその機会が来るとは限らないのだ、顧問のように。

 

人生、何があるのかわからないのだから。 

なんとか3年間頑張れたこの感謝の気持ちを、あなたのようになりたいんだという尊敬の気持ちを伝えたい。じゃあ、そうだ。手紙を書こうか。

 

平成最後の4月に手紙を出した。返事はない。もしかしたら、新聞受けのなかでチラシと一緒になってしまって、見ていないかもしれない。というか、チラシと一緒に捨てられたかも。あああ、さすがに、それは、ちょっと困る。

でも、私の中では一区切りついた。手紙を書く中で、どれだけ助けられたかを振り返り、どれだけその人が好きなのかを再確認できた。やっぱり、また会いたいし、話もしたい。3年間頑張りました、こんなに立派になったんですと誇らしく自慢してやりたい。いや、そんなことを言いながら目を合わすだけで精一杯かも、だったら一言でいいからお久しぶりですとあいさつをしよう。最後に顔を合わせた思い出が、鼻水を垂らしたみっともない泣き顔だなんて恥ずかしすぎる。

今年の秋、前職場の同窓会的なイベントがあるはずだ。

 

大丈夫、今度こそ、後悔しないために。