1/16くもり、新年の目標を立てたいがー

去年の目標は「毒か薬かになりたい」ということで、自分の意見をきちんともちたい的なことだったけれど、あまりうまくいかず、状況に流されるまま過ごした。それはそれでよかった気もする。

 

数年前、目標を立てるときに使用したシートを引っ張り出そうとしたのだが、どこにデータを保管したのか見つけられない。たしかnoteで見たような、と思って「目標 シート」で検索をかけてみたけれどない。かわりに、あふれるほどの「目標」が出てくる。

やる気に満ちあふれた記事を読んでいくと、どうしたことか自分のやる気が吸いとられていく。それは自分がへそ曲がりなせいでもあるし、目標にしたいこと=現状できていないことだと考えて、みんなそんなに不満を抱えているのかよ、と多少穿った見方をしているせいもある。

……などと少しばかり疲れながら探していたら、自分のブログに残っていた。

今年の計画を作る10の質問|ヤマシタ マサトシ|note

該当ブログ記事を読んで、当時の自分はやたらと元気だと感じた。探さないでください

 

目標を立てながら感じたのは、自分は自分に自信がないんだな、本当にないんだな、逆立ちしたってないんだな、ということだった。いつか誰かと話したときに「なんでもいいから褒められたい」と発言したら、相手はそれほど賛同していなかったことを思い出す。自信がないから褒められたかったんだね。

自信がないと、どうせできないと思ってしまって新しいことに挑戦したり現状を変えたりすることが躊躇われる。しかし、うまくいっていない原因は今の環境にあって、違うところに行くなり別のことをするなりしてみると、めちゃくちゃ「うまくいく」可能性もある。自信がないとその選択が取れず、結局、悪いループに入ってしまう。

ありきたりな指摘だし、頭ではわかっているのだが、やっぱりループから抜けるのは容易くない。

 

自信がないはその通りだが、もう一つ、他人から信用もないなと感じる。新しいことをしようとすると心配される。私がぽんこつだから心配なのはわかるしありがたいけれど、ぽんこつだと思われているのはやっぱり少し悲しい。お世辞にも、こいつはやればできると思われていないからこその心配ではないのか、と再び穿った見方をしてしまう。

あてがあるのか、失敗したら(うまくいかなかったら)どうするのか。おおよそ何も考えていないのでそう言われると弱いが、実際のところ、どうにもならなかったらどうなるのだろう。あるいは、現在地はすでにどうにもならないコース上かもしれない、とは考えられないだろうか。現状維持にしておけば間違いはないように感じるけれど、それもやっぱりわからない。

 

お金、健康、対人関係、キャリアに家族のこと、それからなんだろうか。考えなきゃいけないことも心配することも備えておくべきことも山ほどあって、不安や焦りに押しつぶされそうになる。気づけば体も心もガチガチにこわばっていて驚いてしまう。

現状を維持するべきなのか打破すべきなのか、そんなことを考えている私は冷静なのか少し興奮しているのか。結局のところ何もわからなくて、だからこそやっぱり自信が欲しい。自分が下した決断はまあまあ妥当だろうし、なんとか達成できるだろうと自分を信じたい。

それは大らかさというかゆとりというか余裕というか、人生に対する気楽さである。