愛だの恋だのうるせえな

周りが結婚ラッシュである。ちょっと年下の友人たち、よかったねえめでたいねえと思いつつ、同時に不安に駆られる。

結婚していないしする気配もない、そもそも相手すらいない私は、人間として「ダメ」なんじゃないのか。

 

もちろん、今はそういう時代じゃない。結婚して子どもを産んで家を買って車でドライブ……以外の生き方が、たくさんある。それでも、少なくとも私の周りは結婚している人が多くて、その多数派の方が生き方として当たり前のような雰囲気はある。あの人結婚してないんだよ、と言われてやっぱりねと納得する評価観。

と、周りのせいにしたけれど、私自身にそういう見方があるのもまた事実だ。普通に生きていれば相手が見つかって結婚するものならば、それができない私は普通の生き方をしていないのか。

出会うためには努力が必要で、その努力をしていない私に出会いがないのは仕方がない。ただ、私が気にしているのは、「出会いたい」という欲求すらない私の価値観は、世間から大きくずれているのか、ということ。その「ずれ」こそが不安なのである。

私の考え方って、そんなに社会とずれていますか?もしかして、すごく変?別に、社会の多数派に乗っかる必要はないと思うけれど、それに立ち向かえるほど強くもなくて、うじうじしている。

 

世間には「恋」があふれていて、誰が誰を好き、という話は小学生だって幼稚園児だってしている。創作物だってそうだ。漫画や小説、ドラマで誰と誰がくっついた、くっつかないでファンは一喜一憂する。光源氏だって好きだなんだの世界なんだから、人間は元来そういう物語が好きなのだ。原始人も、コイバナしていたかもしれない。

やっぱり、好きな人が、恋人がいるのが「普通」なのかなあ。

恋人いない歴〇年です!と言えば、「恋愛上手」な女性タレントが恋愛をさぼっていることを戒め、恋する気持ちの大切さを教えてくれる、そんな世の中。恋愛しているのが普通、そうでないなら異常?な世界で、私は恋愛がしたいのではなく、恋愛をしないといけないと思っている。もはや恋愛は義務なのだ。納税、勤労、教育を受けさせる義務に次いで、国民は恋愛をしなければならない。

なんだ、憲法で決まっているなら仕方がない!

 

恋愛するときって、思う気持ちと思われる気持ち、どっちをより重視するのだろうか。思う気持ちだけで足りるならば片思いで十分なんだから、思われたい気持ちの方が強いのかもしれない。愛するよりも愛されたい、まじっすか。結局、寂しいとか認められたいとか、そういうところに行きつくのだろうか。誰かの特別な存在になりたい、そうして一人の人間として認識されたい、みたいな。

 

そうやっていろいろ考えて、自分の不安を押し殺す。恋愛する必要はない、社会が恋愛を必要以上に賛美しているだけなのだと。実は、最近は暇なのだ。コロナ関係で遠くへ行けないし、職場は刺激がないし。だから、こうやって自分の生き方を見直したりして、余計な不安を抱えたりしている。

これから、恋人ができるかもしれないし結婚するかもしれないし、全然全くそんなことはないかもしれない。いずれにしろ自分の選んだ道だ、誰かのせいにしないようにはしたい。